このような出来事を、「LIVE」で観ることの意味は、もちろん、臨場感や、何がこれからあるかわからない、という緊張感もあるが(オバマ演説は結局17分あったが、始まってからも、どれくらいあるのか、続くのか、わからなかった)、それ以外にも大きな意味がある。
それは何かと言えば、後に、ニュースなどで編集され、解説がつけられて流される映像では、大切な何かが失われるからである。特に、特定の意味付けや、解釈、解説がつけられた映像は、もともとのイベントが持っていた触感のようなものがなくなってしまっている。
「マインドフルネス」の考え方で言えば、その場で起こっていること、自分が感じていること、他の人が感じていることを、ありのままに、そのまま受け止めなければならない。LIVEの映像ではそれが可能であるが、編集されたニュース映像では、それが難しい。
編集の姿勢もある。今朝紹介したニューヨーク・タイムズの映像のように、何のコメントもなく、淡々と編集した動画ならば、もともとの雰囲気も伝わるが、キャスターがあれこれと解釈して見せる映像では、もとの雰囲気はすっかり失われてしまっている。
スポーツ中継でもそうだけれども、元々の素材として映像、画像に、ごたごたと解釈を付け加えたコメントは、往々にして邪魔になる。マインドフルネスの視点からは、むしろ、コメントは少ない方がいい。昨日のオバマさんの訪問でも、そのことを思った。』