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釣り太郎ジージに警告

釣り太郎ジージに警告

純日本人」だの「日本人ファースト」だのと叫び、外国人を敵に仕立てて票を稼ぐ政治。

それを喜んで支持し、 「自分たちは日本人だから上だ」と優越感に浸る人間。

はっきり言う。

それは愛国心なんかじゃない。

排外主義と選民意識のセットだ。

参政党だろうが、日本保守党だろうが、自民党だろうが、外国人への敵意を利用して票を取りに行く政治は同じように警戒する。

「外国人に厳しくすれば票が取れる」

そんな発想が政治を支配したら、社会の問題を解決するどころか、国民同士を憎ませるだけだ。

物価高? 賃金低迷? 格差? 地方衰退? 農業崩壊? 社会保障の不安? 政治への不信?

それらを解決する代わりに、
「あいつらが悪い」
という敵を差し出す。

そして、それに飛びついて 「そうだ!外国人が悪い!」 と叫ぶ。

……政治家にとって、こんなに都合のいい国民はいない。

自分たちの生活を苦しくしている構造には怒らず、政治家が差し出した“敵”には怒る。

権力を監視するはずの主権者が、いつの間にか権力者の応援団になっている。
さらに「純日本人」などという言葉で自分を特別扱いし、外国人を見下す。

何様なんだ?

国籍は勲章じゃない。 血筋は人間の優劣を決める資格証明書でもない。
「純日本人だから偉い」なんて思想は、愛国心ではなく、ただの劣等感を隠すための優越感だ。

そして、そんな人間ほど「日本を愛している」と叫ぶ。

違う。

他者を見下さなければ誇れない日本なら、それは日本への誇りではなく、自分自身への自信のなさを日本という看板で覆っているだけだ。

ナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアから学ぶべきなのは、「最後に何が起きたか」だけじゃない。

社会不安を利用し、 敵を作り、 民族や国家を強調し、 「強い指導者」を求めさせ、 反対者や異質な存在を排除していく。

その“過程”こそ警戒しなければならない。
もちろん、現代の日本をそのまま戦前やナチスと同一視するつもりはない。

だが、
「不安を解決する代わりに敵を与える政治」
には、右も左も関係なく警戒する。
民主主義とは、 選挙の日に一票入れて、あとは政治家に白紙委任する制度じゃない。

デモを笑うことでも、 政府を批判する人間を「反日」と罵ることでもない。

主権者が権力を監視し、批判し、声を上げ、必要なら街頭に立ち、選挙で権力者を落とす。

それが民主主義だ。

なのに、政治家が作った「敵」を一緒になって叩きながら、 「日本人ファースト!」 「純日本人!」 と叫ぶ。
そして、それを「愛国心」だと思い込む。

もう一度言う。

他者を見下して日本人の優位性を叫ぶことは、日本を誇っているんじゃない。

日本の品格を自分たちで叩き潰しているだけだ。

日本を本当に愛するなら、 国籍で人間を序列化するな。

弱い者を踏み台にするな。

政治家が差し出した敵に飛びつくな。

権力を監視しろ。

そして、自分の頭で考えろ。
「日本人だから偉い」ではない。

どんな人間として生きるかで、その人間の価値は決まる。

「愛国」を叫びながら他者を侮辱する人間ほど、日本を安っぽく見せている。

日本を貶めているのは、外国人ではない。
日本人であることを免罪符にして、人間の尊厳を踏みにじる自称愛国者だ。

「参政票を取り戻せ」焦った自民、頼った高市氏と外国人政策の難しさ:朝日新聞