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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20160114074303j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『ぼくが子どもの頃から、1989年のベルリンの壁の崩壊まで、世界には「冷戦構造」があった。米国を中心とする資本主義国と、ソ連を中心とする共産主義国が対立していた。この構造は、今考えると、まだ「わかりやすかった」と感じる。
個人の自由や、起業精神を重視するのか、それとも、平等や、社会の秩序を重視するのか。実際の政治のあり方には、個人崇拝や腐敗などの問題があったものの、資本主義対共産主義のいわゆる「イデオロギー」の対立は、理論的には筋が通っていた。
結果として、共産主義計画経済は資本主義のダイナミズムの前に破れ、中国もまた市場経済に舵を切った。イデオロギー戦争は終わり、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり?」で、資本主義、自由主義の勝利について考察した。
フクヤマが指摘したように、それで歴史が終わったのかと思ったら、そうではなかった。現在の社会は、何かが融けてしまったかのように、あらゆる地域で、さまざまな対立が生じている。極端な主張が、ポピュリズムの中で支持を集め、政治的な力をもとうとしている。
ところが、現代の対立の多くは、資本主義対共産主義イデオロギー対立にくらべると、幼稚であり、知的負荷がひくい。世界は、むしろ、稚拙で粗野な思想対立にこそ、支配され始めているように思われる。昔ならば「色物」だった政治家が、選挙で勝利する事例が増えてきている。
このような、対立の愚鈍化の背景にあるものは何か? もともと人間は、ある一定量の対立的感情を持つものであり、冷戦時代は、イデオロギー対立というわかりやすい構図に、そのようなエネルギーが吸収されていただけなのかもしれない。
あるいは、技術文明の成熟が、人々を幼稚にしているのかもしれない。世界の「対立」の多くは、もはや文明の本質や社会秩序の中心と無関係な「おしゃべり」であり、そのような対立構造で感情のマグマを散らすという贅沢が、テクノロジーのプラットフォームの上で可能になっているのかもしれない。
いずれにせよ、今世界各地で顕在化している対立構造のほとんどが、知的な意味、世界観の文脈では稚拙なものであるということは留意しておくべきだろう。ミネルヴァのふくろうは技術の山の中で深い眠りにつき、騒々しいカラスたちがわめき散らす時代に、耳を塞いで内面の音楽を聞くことも大切だ。』