ある特定の指標で、他人をまとめ、論評したり非難したりすることは、誰でもある程度やってしまうことだとは思うけれども、それはいったいどういうことかと言えば、「認知的負荷が低い」ということだと思う。つまりは、そうすることがラクなのだ。
「男ってこうだ」「女ってこうだ」「◯◯はこうだ」と決めつけると、それ以上、個人の差異とか、統計的ばらつきを見る必要がないから、本人がラクである。差別や偏見にとらわれている人の共通点は、要するに本人がラクだということだと思う。
同じカテゴリーの中の人はみな同じ、という「ラクな状態」から、一人ひとりの差異を見るようになることから、おもしろい世界が広がる。いわゆるヘイトスピーチをしている人たちは、とてもラクをしている人たちだが、それだけではないと私は思う。
年齢や、性別や、出身地、いわゆる「偏差値(笑)」(「偏差値」は実際、あまりにもアホらしいので、これから、いつも、偏差値(笑)と、(笑)を付記することにしたらいいと思う)などで、人を決めつけるのは、ヘイトスピーチよりももっと社会の中で広がっている。そんなにラクしちゃダメだよ。