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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20150629074640j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
では、「グローバル人材」を、「グローバル人材(笑)」と表記する。その理由は、徐々に明らかになるだろう。私は天邪鬼なところがあって、日本の大学がガラパゴスな文脈で惰眠を貪っていたときには、しきりとグローバル化を主張したが、世間がやたらとグローバルと言い出すとおひ、そんなに軽薄なものかい、と思い出す。グローバル人材(笑)だが、私が日米学生会議に参加した30年前から、そういう人たちはいた。インターに通ったり、米国の大学に行って、英語ペラペラ、どんな国の人とも、別け隔てなく喋れる。言語明瞭、大いに結構、グローバル人材(笑)バンザイに見えた。
当時、「純ジャパ」「半ジャパ」「ノンジャパ」という言葉もあった。国内の文脈にどっぷりつかっているのが「純ジャパ」であり、インターや米国大学を修了して英語で何でもペラペラなのが「ノンジャパ」、つまりはグローバル人材(笑)である。当然、グローバル人材(笑)は広いはずだったのだが、同時に、とても狭く見えたことも事実である。特に、米国流の、初対面でもハーイ! なんて言っちゃって、ペラペラ、私はこんなことに興味を持っている、そこ行ったことある、グレート、オウサム、みたいに叫んでいる人たちが、広いようでいて、実はものすごく狭い「文脈」にハマっているように感じた。
つまり、グローバル人材(笑)は、ドメスティックな人に比べて、「広い世界」に接続しているように見えて、実はものすごいモノカルチャーというか、スペクトラムが狭いんじゃないか、ということは、当時から感じていた。世間が軽薄にグローバル人材(笑)に駆け出した時、ぼくはそれを思い出す。
誤解を避けるために強調しておきたいが、英語は卓越すべきだし、TEDは見るべきだし、EdXでハーバードやMITの授業は、大いに見るべきである。日本のドメスティックな文脈に浸りまくりの偏差値入試は即座にやめるべきだし、蛸壺教授たちはやる気のない授業を改めるべきだし、大学生はさぼるな!
その上で、日本における「グローバル人材(笑)」が、輸入国の悲劇、ものすごく薄っぺらで狭いものになっていることは今のうちに確認しておく必要があるだろう。そのことは、日本の国際教養系の学びが、著しく数理的な素養にかけた、うすっぺらなものになっていることとも相関がある。
ハーバードがすぐれた学問の府なのは、言語明瞭な国際ビジネス系の学生もいる一方で、ゲイツザッカーバーグのような数理的なオタクもいるからで、後者がいない薄っぺらな日本風「グローバル人材(笑)」は、新たな愚民政策、国の没落への道だと、断じざるを得ないのである。