インターネットの発達によって、誰でもどこでも発信できるようになった反面、ある種のことについて、(自分にとっての)ほんとうのことを心置きなく言う、という機会は減ってきているように思う。昨日のゲンロンカフェには、それがあった。
そのことを、東浩紀さんは「アジール」と言っていたけれども、確かに、アジールは必要だ。そして、東さんは、自由平等友愛が実現した現代において、かえってポピュリズムが強まり、反動的になっているというパラドックスに言及した。
新聞やテレビなどの伝統的なメディア空間はもちろん、インターネットでさえ、ほんとうのことを議論しあうのに適した場になっていないのだとすれば、東さんの言うように、アジールをうまく設計しなければならないのだろう。
アジールは、規模が小さくなければならない。マーケットと無関係でなければならない。効率や成果と言った、短期的な効用と関係なく、その質が、当事者たちによって、担保されなければならない。
私自身、マーケットとは無関係な存在としての内面のアジールを確保することの必要性を、日々感じているし、特に最近はその思いが強い。昨日、ゲンロンカフェで、アジールの身体性を確認できたのは、よいことだった。東さん、ゲンロンのみなさん、そして集った方々、ありがとう!
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