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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20151213075111j:imageニコ・ロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『夏目漱石の弟子、内田百閒の『阿房列車』が好きで、超ヘビーローテーションで、読んでいる。百閒は岡山出身で、東海道線は眠っていてぱっと起きたらその時の景色がどこかわかる、というほどの鉄道好きである。平山くんとの珍道中が面白い。すばらしい文章。
その『阿房列車』は、車窓の景色ももちろん楽しむのだけれども、同行の平山くんとの酒席ももちろん大事である。それで、百閒先生は、景色について迫真の叙述をなさる時もあるのだけれども、その一方で、平山くんとお銚子をやりとりしている時間もある。
ここに、人生の難しい問題がある。子どもの頃は、電車の窓からずっと景色を見ていたこともあったけれども、大人になるとなかなかそうも行かない。本当はずっと見ていたいけれども、本を読んだり、話したり、眠ったり、大人はいろいろ忙しい。
せっかく旅行しているんだから、車窓の景色を存分に味わいたいという気持ちはもちろんあるけれども、一方で変化がなくて退屈に感じることもある。大人の旅行の実際は、時折(ランダムなタイミングで)外を見て、たまたまいい景色があったら、「ああ、いいね」というのが関の山だろう。
能楽ユネスコの世界無形文化遺産に登録されている日本の、そして人類の至宝であるが、ご存知のようにゆったりとしたテンポで(往時は上演数から計算しても今よりも速かったという説も)、退屈してうとうとしてしまう人が時折おられる。
それでも、ある人に聞いた説だけれども、能楽の見巧者は、うとうとしていても、見どころに来ると、はっと目が醒めて、しっかりと見るものなのだという。列車の旅で、見どころを失わない内田百閒氏も、同じような列車の見巧者だったのかもしれない。
人生が旅だとするならば、その「車窓」の景色は、本来、さまざまな見どころに満ちているはずだけれども、その中には見逃してしまうものもあるだろう。私たちは、ふだんぼんやりしていても、いざという時ははっと見る、人生の見巧者になれるのであろうか。』