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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20150927093434j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『先日のラグビーW杯の試合で、日本が南アフリカを破った最後の15分くらいは凄かった。これでもか、これでもかと、何度も寄せる波に、ついに強豪もトライを許した。24年ぶりの勝利、という「結果」はもちろん、そこに至るプロセスが、見る者の魂を震撼させた。ラグビーって、凄い。
スポーツは、結果よりも、むしろその闘いぶりではないか。昨年の、全米オープンで錦織選手が決勝に進んだ時も、コートを懸命に走ってリターンする、その身体の動きの激しさ、緻密さ、魂ののりかたに感動した。決勝では、結果として負けたけれども、その闘いぶりは今でも心に残っている。
ぼくは小学生の時プロ野球に夢中になっていて、王貞治選手の打席を食い入るように見つめていた。さすがの王選手でも、全打席ホームランを打てるわけではもちろんない。しかし、どんな時でも、一本足打法で全力で球に向かっていく、その求道精神とでもいうべきものが、やはり好きだった。
もちろん、スポーツには、勝敗がともなうから、プレイヤーも真剣に、必死になるというところがある。勝者は褒め称えられ、敗者は恥辱にまみれる。その一方で、勝敗がすべてではないところがスポーツの面白いところで、結局、我々は勝利そのものよりも心と身体の躍動にこそ動かされるのだ。
そこで、昨日の鶴竜稀勢の里の取り組みである。鶴竜が二度かわった。相撲の規則には、立合いでかわってはいけないとはどこにも書いていない。それでも、残念に思えたのは、結局、そこには勝敗へのこだわりはあっても、相撲に向かう懸命さ、真っ正直さが足りなかったからだろう。
私は、鶴竜関を批判しようとは思わない。横綱になってまだない優勝は欲しいだろうし、勝敗へのこだわりもわかる。鶴竜関がうんぬんというよりも、昨日のあの取り組みから見えてきたものは、私たちがスポーツに何を求めているかということだった。それは、実は勝敗ではない。
日々の人生も同じことかな、と思う。私たちの行為の蓄積はやがて評価され、場合によっては勝敗がつく。しかし、本当に大事なのは勝敗ではなくて、プロセスである。どれくらい一生懸命、真剣に、目の前のことに向き合っているか。それができていれば、勝敗は後からついてくるものに過ぎないだろう。
照ノ富士が怪我をおして出場したことについては、休んだ方がいい、という意見もある。難しいことだが、ご本人が、出たい、と自ら決めたその意志を尊重するべきではないか。今日の鶴竜と照ノ富士戦で本当に大切なのは、勝敗ではない。そこに、スポーツの魂はあるか。結局、本気しか人の心を動かせない。』