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朝からメッセージ

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『f:id:barussnn127:20150913101438j:imageツイッターで、お前は馬鹿だと言い続ける人たち
ツイッターを見ていて気になるのは、他人のことを馬鹿だと決めつける一群の人たちのことである。その使われかたを見ていると、「お前は馬鹿だ」=「お前はオレと意見が違う」という風に翻訳されるように感じる。意見が違うことを、馬鹿だと言っているのである。そしてまた、別のことも感じる。
それは、他人を馬鹿だと決めつける人は、たいてい、自分自身の賢さについて不安を抱えているということで、つまり、劣等感の裏返しとして、他人に対する優越感を主張しているように見える。
「馬鹿だ」というときに、なにを基準に言っているのかも、気になることである。そりゃあ、ヴィトゲンシュタインや、ジョイスに比べれば、たいていの人は馬鹿だろう。また別の見方をすれば、ヴィトゲンシュタインやジョイスは常人では及びもつかぬ馬鹿である。しかし、そういうことではないらしい。
どうも、ツイッター上で、他人のことを馬鹿だと決めつけたがるひとは、劣等感の裏返しとしてやっているようにしか見えず、その背後には、子どもの頃から成績を比べられ、愚かな偏差値入試に駆り立てられる日本の教育の殺風景が見え隠れするように思える。
ところで、単なる「頭の良さ」だったら、これから人工知能特異点を迎えて、どうせ人間はかなわなくなるんだから、人間どうしてお前はおれより馬鹿だ、とかやっていても仕方がない。IQ60とIQ180で争っていても、IQ4000の人工知能が出てきたら、意味がない。だから、やめた方がいい。
単なる「頭の良さ」よりも、むしろ大事なのは人格(personality)で、これは人工知能は当分追いつかない。なぜならば人格の良い計量的モデルはまだ存在しないからである。感情もそうで、要するに今の人工知能はスーパーサヴァンなのだから、人間は人格の豊かさで勝負するしかない。
ひとつ、希望があるのは、ツイッター上で他人を「お前は馬鹿だ」と決めつけている人たちが、ある日、自分のそのような行動が何に由来するのかという「メタ認知」を持つことである。誰が賢い、賢くないなどという強迫観念には意味がないことに気づけば、すてきな雪融けが訪れる。
以上のような理由で、私は、ツイッター上で、「お前は馬鹿だ」と他人に対してツイートを振りまいているアカウント(たいていの場合匿名)を見かけると、「そんなこと言ったって、ヴィトゲンシュタインやジョイスや人工知能・・・」とぶつぶつ言うと同時に、来るべきメタ認知への希望を抱くのである。