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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20150905103713j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『
警察の方が、国会周辺で動線をつくっていて、「抗議の方はあちらに回ってください」「みなさんあちらにいます」と言うのがなんだかおかしかった。国会前の庭の隅のところに行くと、確かにたくさん人がいた。歩道を二つに分けて、片側を抗議用、もう片側を通行用にしていた。
しばらく人混みの中で立ってたら、SEALDsのメンバーが迎えに来たので、行ったら、奥田愛基くんがシャウトしていた。面白かったのは、リュックを背負ったまま叫んでいたことである。ちょっと声がかれていたのはずっと叫んできたからだろう。それで、紹介されて歌を一曲やって離脱した。
初めて国会前のデモの現場に行って思ったことは、「ずいぶん狭いな」ということである。先日の30日の時は別として、歩道や前庭の隅でやっているから、狭い。逆に言うと、SEALDsのメンバーも、その一角に最密充填で秩序だって並んでいて、礼儀正しいし、統率がとれていた。そこは感心した。
国会前のデモは、イメージとしては、ワシントンDCの議事堂前の「ナショナル・モール」のような、だだっぴろい場所に人々が三々五々いるイメージだったのだが、実際には猫の額みたいなところにみんなが詰め合っている感じだった。そのあたり、日本的なのだろう。
もうひとつ、良し悪しと関係なく日本的だと思ったのは、抗議の声の上げ方である。SEALDsについては、そのデザインや音楽の革新を褒める人が多いが、一方で日本の伝統芸能をしっかりやっていて、つまり、誰かリーダーがシャウトして、一糸乱れずみんなで声を合わせる。
そのあたり、日本のプロ野球の応援に似ている。大リーグだと、それぞれの観客が自然発生的にいろいろリアクションして、スタンディング・オベーションなんかも起きるが、日本の球場では、私設応援団が統率のとれた声上げをする。SEALDsの抗議は、どちらかというと日本のプロ野球に似ていた。
ぼくは、どちらかと言うと、一人ひとりの聴衆が自然発生的に声をあげる方が肌に合うのだが、猫の額の国会前庭では難しいのかもしれない。SEALDsの声上げはご機嫌だったし、音楽的に、今っぽかったから、決して良くないと言っているわけではなく、感じたままを書いています。
もう一つ感じたのは、SEALDsは本当にごく普通の学生たちが集まっていることで、ぼくが一曲歌った周辺にプラカードを持っていた学生たちの顔は、ぼくが大学の教室で授業している見ている顔と、全く変わらなかった。その当たり、SEALDsの運動の広がりを感じた。がんばっているねえ。
さてさて、抗議のやり方が、リーダーが声を上げて一糸乱れずやるという、「集団主義」ぽいという点だが、それは、党議拘束で個々の議員の思想や心情と関係なく数合わせで議決結果が予め決っている国会の集団主義の方がよほど深刻で害が大きいわけで、学生たちの熱心な気持ちの方をむろん応援したい。
英国議会でも、アメリカ議会でも、特に安保法案のような国政の将来を決める重要法案の時には、各議員が自らの頭で考え、さまざまな要素を熟慮して判断するのが前提で、民主党も共和党もないわけだが、日本の国会の、議席数で予め結果がほぼ読めるというロボット議員たちのことは理解不能だ。
同じ集団主義でも、「センセイ」と呼ばれ、さまざまな権威や肩書に守られている国会の集団主義の方が、ただの学生たちの抗議の仕方の集団主義よりもよほど深刻で害がある。しかし、いずれにせよ、この国のあり方を根本から考える時、集団主義の悪弊との対決は避けられないなと思いながら帰った。
ちなみに、昨日は、国会前庭に行って歌ってよかったと思うし、SEALDsのことはこれからも応援します。国会議員の先生方については、お一人おひとりのあり方に即して、応援するかしないか、考えさせてください。』