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朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ❗️『「教養について」

教養とLiberal Artsの間の関係はどうなのかをここで論じたいのではない。いずれにせよ、なぜ、世に出ていく上でさまざまなことを知り、考え、感じることが大切なのかといえば、一言でいえばそこに一筋縄では行かない人間世界のさまざまが反映されているからだろう。

政治は全体最適で、部分の都合はがまんすべきだ、というような考え方がある。しかし、それで世の中がうまくいくわけではない、ということを知ることも教養である。何事かをなそうとすると、反対する人が必ず出てくる。では、反対者にどう向き合うかということを知るのも、教養である。

文豪ゲーテヴァイマル公国の宰相をつとめたこともあるが、その代表作『ファウスト第二部』には、こんな話がある。政治家になったファウストが、埋め立て事業を企てる。ところが、老夫婦が立ち退かない。立退けば新たな土地が与えられるのであるが、立ち退かない。

メフィストフェレスが老夫婦の立ち退きを実現する役をかって出るが、行き違いで悲劇的結末になる。実際に政治にかかわったゲーテが、全体としては良かれと思って行う行政行為でも、時に生活者に災いをもたらすという世の真実を自覚していたことがわかる。それが「教養」というものだろう。

国の舵をとるものであれ、一つの組織の長であれ、およそ、自分の決定が多くの人たちの生活に影響を与える者は、ゲーテ的な意味での「教養」を持って欲しいものだと思うけれども、実際には必ずしもそうではないことは、古今、洋の東西を問わずに残念な世界の真実である。

必ずしも「教養」があるわけではない者が人の上に立つことがしばしばあるということを知り、そのことを前提に物事を考えることもひとつのメタな「教養」といえるのかもしれない。世は動き、人は夢を見て、新しい考えが浮かび、教養は深化する。しかし、その恩恵の表れ方は、さまざまである。

ところで、今年のTEDで興味深かったトークの一つは、かつては法的には「モノ」(legal thing)だった動物たちに、最近は「人格」(legal person)
が認められるようになったという話だった。法律の常識も、変わる。

動物も、legal personであるならば、チンパンジーやジュゴンやイルカも、環境破壊や不当な扱いに関して、訴訟が起こせる時代なのかもしれぬ。「法治国家」という時に、その「法」にどれくらいの広がりや深みを見ることができるかということも、一つの大切な「教養」なのであろう。』