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エッセイ社会派なブログ??!

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

「これを学ぶと何の役に立つのか?」「どんなご利益があるのか?」「何が面白いのか?」といった結論を性急に求めるのではなく、虚心坦懐に受け入れることで、やがて、「面白さのしきい値」を超えることができる。それが学習の最大の醍醐味である。

教師にとっては、生徒が「面白さのしきい値」を超えるのを手助けするのが最大の課題になる。そこを超えれば、あとは生徒が勝手に自分で勉強するようになる。心に火をともせば、その炎は一生燃え続ける。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

ある高名な小説家は、小説を書くためにはどうすればいいかと聞かれて、何でもいいから外国語を真剣に習得しなさいと言ったそうだが、異なる言語に触れることの効用は、その言語の習得ということに留まらないのであろう。

外国語に真剣に向き合うことで、ひるがえって母語に対する感性が磨かれるということはある。英文学の中に耽溺して日本語世界に戻った漱石はその好例だろう。漱石にとって英語習得そのものが日本語磨きのサイレントピリオドだった可能性すらある。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

脳の神経回路網の変化は連続的だから、サイレントピリオドにおける変化に比べて、進歩が顕在化した後の変化の方が特に大きいということではない。むしろ、サイレントピリオドで潜在的に進行している変化の方が、習得の準備という意味においては実質的である。

言語習得における文法構造や意味の理解の多くは無意識のうちに潜在的に起こる。そのような視点からも、一見何の進歩もないように見えるサイレントピリオドの重要性が推認されるのである。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

脳の神経回路網は、適切な文脈が与えられたときにはじめて水や光、養分が与えられて成長が始まる植物のような存在である。そのような文脈が与えられた時に、ゆっくりゆったりと成長が始まる。文脈が途切れれば、成長も途切れる。

もっとも、ある程度の強度のある文脈に置かれた後では、夢を見たり、あるいはぼんやりしている時のdefault mode networkの働きなどで、情報は整理され、植物の成長も調整され続ける。オンの時だけでなく、オフの時にも変化が続くくらいの強度のある集中と継続が望ましい。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

さらに重要なのは、Aという神経構造ができて始めてBに到れる、という、一連の段階があるということである。Aができて始めてBになる、それからCになるというように、一連の構造がくりこまれて、継続的な発展を遂げるようになる。これは、長期にわたる取り組みがあって初めて可能になる。

AからBに至り、Bを前提にしてCとなり、Cを前提としてDになる・・・・このようにして初めてZに行けるわけであって、Aから途中を飛ばしてZに行く方法はない。だからこそ長期の取り組みが必要であり、一万時間の法則が成立する。』

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

グラッドウェル氏は、ビートルズハンブルク時代に酒場のオーナーの方針により延々と演奏させられたこと、ビル・ゲイツ氏が高校時代に当時としては例外的に長いプログラム経験を持つことができたことを、「一万時間の法則」の傍証として挙げている。

世間では「才能」は何の苦労もなしにできるという意味で捉えられがちだが、それは一種の「自然発生」説で、事実ではない。才能を云々するよりも、長い継続にかける方が、「一万時間の法則」としては正しい。』

 

ナイターメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

「ここにあった!」と立ち止まらせる力のある作品は、容易には正体を明かしてはくれない。必ず、深い秘密が隠されている。だから、「ここにあった!」という作品があったら、長く、繰り返し接し、その秘密を自分の中に吸い取れば良い。多くの場合、無意識のうちに。

世の中のほとんどはダメな作品だから、そのようなものを前にしたら、ただ黙って歩み去れば良い。ロットントマトのようにシステマティックに評論する場合を除いて、批評性は良い作品を求めて歩きつづける旅だと考えていれば、まず間違いない。』