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いきなりメッセージ

ニコ・ロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『f:id:barussnn127:20151215123049j:image国定教科書とか言っている場合じゃなくて
映画『いまを生きる』(Dead Poets Society)のなかで、ロビン・ウィリアムズが演じる新任の教師が、文学論の教科書を生徒に読ませて、「今読んだページを破れ!」と命ずるシーンがある。「この頁だけじゃない。全部破れ!」。印象的な場面だ。
教育において教科書を吟味することは大切だが、いちばん大切なのは、教科書の記述を批判的に吟味する能力を育むことだと思う。『いまを生きる』のロビン・ウィリアムズは過激であるが、より穏やかに、教科書の記述を疑うことは当たり前のことだろう。
今朝の新聞を読んでいたら、韓国で教科書の「国定化」が進んで、それに対する抗議もあるという記事があった。教科書が偏向しているとか、だから「国定化」して内容を「正しく」しなくちゃいけない、という考え方は、根本的に間違っていると思う。
「国定教科書」ですら、さまざまな資料のうちの一つでしかなく、その内容を批判的に検討する能力を育むのがほんとうの教育で、そうでなければイノベーションに必要な教養は成り立たない。ロビン・ウィリアムズならば、最初の授業で頁を破らせるのだろう。
もっとも、日本の教育においても、国定教科書まで行かなくても「検定制度」があるから、「教科書は正しい記述をする」とイデオロギーはある。東アジアには、そのような考え方が比較的強いように思うが、比較教育学的にはダメな方向だろう。
さらに言えば、最近の傾向として、国が主導して国定教科書や検定教科書をつくっても、目端の利く人たちはそのシステムから出て、子どもたちをインターナショナルスクールや寄宿舎学校、IB準拠校で学ばせている。大学もそのような生徒を受け入れる傾向にある。
思うに、現代においては、国が国定教科書や検定教科書のシステムをつくっても、そのシステムから出る人は出てしまうし、出ることで大学進学などで不利になるどころか、AO入試の拡大などでむしろ有利になるから、実質的な被害を避けることはできるということになる。
ただ、国の提供する「標準化」された教育からのエクソダスを図るのは、どうしても親主導になり、その点において家庭間の「格差」を反映してしまうから、割を食ってしまう子どもたちも出てきてしまうと思う。その点が、私は心配だ。
やはり、国が、国定教科書や検定教科書というイケテいない、時代遅れの教育観から脱して、すべての子どもたちに、あまねく、批判的思考やシステム思考といった現代的な教育を行き渡らせる責務を負っていると私は感じる。国定教科書について政治的リソースを使うのは、無意味だろう。
ところで、リベラル・アーツ教育では先を行っているように見えるアメリカの大学の教育も完全ではなく、特に、カリキュラムが決まっていていわば詰め込みに近いのはいかがなものかと思う。猛勉強はすべきだが、何を学ぶかは、それぞれの学生が自主的に決めるのが、本来の姿である。
結論として、地球上のどこにも理想的な教育環境などないのであって、教育のカリキュラムは、それぞれのケースに応じて、工夫していくしかないのだと思う。大学であれ、国家であれ、丸投げしてしまうと、きっと何かが違ってしまう。』