裏最北ブログダダダダーン!!!!

エッセイ社会派なブログ??!

朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20160822095504j:image

f:id:barussnn127:20160822095516j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『 

リオ五輪が、終わってしまう。今回の五輪は、ほんとうに面白かった。日本人選手が活躍するのももちろんうれしかったが、アスリートたちが、4年に1度の真剣勝負に向き合っている、その姿がよかった。勝者もそうだが、敗者もまた、強く記憶に残った。「リオロス」になりそうだ。

リオ五輪は、事前には、いろいろな「懸念」材料が伝えられた。スタジアムなどの建設が遅れ気味だとか、大統領が弾劾で変わって、出席できないかもしれないとか、ジカ熱のこととか、さまざまな心配があったけれども、開幕してみたら、あのような盛り上がりである。

どういうことなんだろう、と考えていて、ああ、こういうことか、と思ったことがある。スタジアムうんぬん、大統領うんぬん、街の治安うんぬんは確かに懸念材料ではあるが、最低限の条件が揃えば、実はオリンピックの本質ではない。

オリンピックの本質とはなにか? それは、この日のためにものすごく鍛錬をしてきたアスリートたちの、精一杯のパフォーマンスである。その生身の肉体の躍動が、私たちを感動させる。それ以外のことは、すべて、枝葉末節と言っても良いのだ。

当たり前のことだが、オリンピックは、アスリートたちのためにある。アスリートたちの努力、鍛錬が強度を保ちつづけるかぎり、他のことは、アスリートたちの邪魔にならない限り、所詮は副次的なことでしかないのだ。だからこそ、オリンピックには、「ほんもの」がある。

オリンピックに出場したアスリートにお話をうかがうと、引退したあと、「これからどうしよう」と茫然としたとうかがうことが多い。それくらい、人生のすべてを、その競技にかけている。逆に言えば、そうでなければ、あの場に立つことはできない。

人生のすべてをかけて、練習して、鍛錬して、オリンピックに出て、それでも、良い成績かどうかはわからない。ましてやメダルをとれるなんて、奇跡のようなものだ。そのような熱と、過酷なドラマこそが、オリンピックのすべてである。

2020年の東京五輪についても、これから、いろいろなことが言われ、さまざまなことが「懸念」されるだろう。しかし、五輪の本質がアスリートたちの躍動にあるということさえ忘れなければ、東京五輪はきっと成功するし、私たちの記憶に長く残るイベントになるだろう。』