あんまりびっくりしたので、「そんなにスピード出さなくていいです」と言おうと思ったが、やめた。冷静に考えたら、目的地までせいぜい数十秒早く着くだけだと思うのだけれども、何か運転手さんに事情があるのかも、と思って、黙っていたのである。
タクシーの課題は、乗るまで、どんな運転手さんかわからないということである。乱暴な運転をされるのか、丁寧なのか、道を知っていらっしゃるのか、知らないのか、そのような情報なしに、ほぼランダムに、私たちは手を上げてタクシーにお世話になっている。
アメリカに旅した人たちによれば、かの地ではUBERが当たり前になっていて、タクシーとの競合が問題になっているという。私はまだ使ったことがないが、特に、タクシーが拾いにくいところで重宝されているのだという。
日本では、UBERは法令上のこともあって(アメリカでもあるのだが、日本は大陸法の伝統のせいか、厳格に考える傾向があるので)、一般化していない。どちらかと言えばハイヤーのようなかたちで運用されているようである。
UBERに対する懸念の一つとして、運転手さんの質が保証できない、というような議論を時々聞くが、先日の「暴走タクシー」のような経験をすると、むしろ逆かな、と思う。もちろん、ほとんどのタクシーの運転手さんは、プロとして丁寧な運転をされているが、ほんとうに時々、ひどい目に会う。
UBERは、確か、運転手さんとお客さんが、相互に評価しあうシステムなので、乱暴な運転をする方は自然に低い評価になる(というか、乱暴な運転をしなくなる)。その意味で、お客さんにとっては選択の基準になるし、運転質向上のひとつのインセンティヴにもなる。
UBERが典型的だが、新しいサービスの形態は、新しい、というだけで守旧派から警戒されがちである。しかし、よく考えてみるとより安全、快適なサービスにつながることも多いと思う。自動運転についても、おそらく同じことが言えるだろう。』