座り込みをしている側も、排除する側も、ストレスを感じる現場。その中で、暴言が出てしまったのだと思うが、結局、そのような対立の構造をつくっているシステムのことを考えないと、問題は解決しないだろう。
暴言があると、その暴言を吐いたひとに怒りがむく。それはそれで自然なことだが、暴言を吐いたひとも、ひとりの人間としてはよき人であり、家庭に帰ればよいパパで、友人たちとはなごやかに談笑する人である、ということはふつうに考えればわかる。
罪を憎んで人を憎まず、ではないが、システムを憎んで人を憎まずというか、なぜ、そんな対立の構造が生まれているのか、根本のところに立ち返って考えないと、問題は解決しないと思うのである。』