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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20150811100217j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『
多様性の尊重
ウィーンが大好きだ。さまざまな文化が花開き、個性的な天才たちが活躍した。そのかつてのウィーンと、今のウィーンを比べたとき、今も十分に魅力的であるが、かつての方がさらに輝いていたのは、つまりは文化的多様性で、ナチスユダヤ人たちを追い出した後遺症がまだあるという説を聞く。
エスニック的、あるいは文化的な「純粋さ」を求めるという衝動はどこにでもあって、それは間違った情熱なのだが、困ったことに本人たちは真剣である。そのような愚か者たちが実権を握るとどうなるか? 文化を支えていた少数派が追い出され、長きにわたって回復できないダメージを受けることになる。
ドイツで言えば、純粋にドイツ的なもの、というのはひとつの幻想であって、実際には、ゲーテにしろ、ワグナーにしろ、もっとも成功したドイツの文化人はドイツ人である前にヨーロッパ人であり、人類であった。出自、個性という壁を超えないものは、結局文化としては大したものにはならない。
東京物語』や『晩春』、『麦秋』、『秋刀魚の味』など、世界映画史に残る傑作を残した小津安二郎監督は、もっとも日本的な価値を体現したと考えられがちだが、大戦中シンガポールに抑留中大量のハリウッド映画を見たという。『東京物語』も、もともとのインスピレーションは米映画から来たとされる。
代表作『本居宣長』を始め、「もののあはれ」と言った日本的価値を深く理解した小林秀雄は、言うまでもなくランボーゴッホドストエフスキーなど、西欧の文化にも深く通じた人であった。結局、文化に本来ボーダーなどなく、多様性の豊かさを理解できない人は、固有性の深さにも到達できない。
多様性も理解できず、受け入れない人が、やたらと日本、日本というのは贔屓の引き倒し、はた迷惑。そのあたりの機微は漱石が『三四郎』の冒頭で見事に書いている。日本が将来も繁栄し続けるために必要なのは多様性の尊重であり、そのことは古今東西の歴史を見ればニュートン力学くらい明らかなことだ。