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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20150806101123j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『又吉直樹さんの『火花』は、出てすぐに読んでおもしろいと思った。芥川賞を受け、200万部を突破。社会現象になっている。このことについて、周囲の読者と、編集者の反応が対照的で、とてもおもしろい。
周辺の読者は、『火花』の内容や、その文学作品としての性質についてあれこれと言う。ところが、私の知り合いの編集者、いわば本作りのプロたちが言うことは、開口一番「いや、出版界にとってよかった」である。本を読まない人が、読むきっかけになればと、その点をとらえて肯定的に評価する。
プロの編集者の見方は、それなりの見識であろう。作品の質は、つまりは主観の問題であり、良い、という人とと悪い、という人が議論をすれば、結局は水掛け論になる。一方、『火花』の芥川賞受賞で本が売れ、出版界が活性化するというのは客観的、定量的に見た現象であって、議論の余地はない。
もともと、芥川賞直木賞は、文藝春秋の創業者の菊池寛が、「興行」のために仕掛けた。2月、8月は「ニッパチ」と言われるように雑誌売上を始め経済活動が停滞するので、話題つくりのために文学賞を設けた。その結果が大成功であることは、改めて言うまでもない。
もっとも、「興行」としての文学賞は、その宣伝意図を読者に見透かされれば心が離れる。讀賣新聞鵜飼哲夫さんは、ある時、「芥川賞が注目される理由の一つは、選考委員が丁々発止、容赦ない論評を加えることもある」と言った。確かに、選評を読むと、こんなものは受賞に値しないと断言する人もいる。
結局、編集者たちが言うように、芥川賞は、興行としてのきわめてすぐれた仕掛けであると同時に、選考委員たちが丁々発止、真剣に議論し、選んでいるということで、その興行価値が担保されているのであろう。
先日、ある研究会で島田雅彦といっしょになった。トイレに立った、島田も同じタイミングで立ったので、となりで連れションすることになった。島田に、「火花どうだった?」と聞いたら、「いや、作品本位で選考したんだよ」と、きわめて優等生の答えが返ってきた。ぼくは島田の顔をもう一度見た。
ぼくは、島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』が大好きだ。島田は、芥川賞の候補に数回上げられながら、受賞に至らなかった。そんな島田が流れ流れて芥川賞の選考委員になったのは不思議なめぐり合わせ。連れションで「作品本位で選考した」と言ったときの島田の横顔は、鮮明に脳裏に焼き付く。』