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朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『「文系」「理系」という区分自体がばからしい。東京大学は、相変わらず「理科1、2、3類」「文科1、2、3類」などという入試区分を維持しているが、そんなことをしている限り、文科省の愚策に対抗するのは無理だろう。何しろ自分たちで「文系」「理系」という偽カテゴリーに固執しているのだから。
本来、学問に文系も理系もない。すべての学問分野はつながっているのであって、ふだんから、そのような意識で研究し、教育を進めていれば、文科省の愚策にも正論で対抗できるのだろうが、大学自らがセクショナリズムで運営している点に、愚策で突っ込まれるリスクが内在しているとも言える。
昨日、塩谷賢などと話していて、あまりにもアホらしいので、面白いゲームを考えた。「これは理系か文系か」というもの。数学ってどっち? 理系? そうか。文系かもしれないぞ。考古学は? 文系? じゃあ、放射性同位元素を使って遺跡を調べるのは? 理系? やっぱり文系?
法学部は? 文系? じゃあ、法秩序を支える認知構造を調べる神経倫理学は? 文系? 理系? 教育学部は? 文系? じゃあ、オンライン教育を支えるシステム開発人工知能を使ったレポートの自動採点は? 文系? 理系? 書いていてアホらしくなったが、文系と理系の区分などない。
学問の本質をきちんと考える人ほど、文系と理系というカテゴリーは本来定義不可能であることに気づくはずだ。「文系学部廃止」の文科省通達の愚は言うまでもないが、学問を勝手に区分してタコツボ化している日本の大学のあり方に、そもそもそのような愚通達を誘引する隙があるとも言える。
入試の文・理区分を廃止し、区分の壁を超えた学問のありかたをLiberal Artsとして再構成することが、必要であろう。ブラウンから始まったという、自由に科目を選択、組み合わせて自分の「専攻」(major)を定義するくらいのスタンスを取らないと、日本の大学の再生はない。』