世の中には、「すげえな!」と思うことがある。いや、いい意味じゃなくて、悪い意味で。安保法案の審議が「110時間」に達し、公聴会も開かれたので、採決に向けての条件が整ったという政治家の発言、そして報道に接していて、心の底から、「すげえな!」と思う。いや、悪い意味でね。サイテーの。
そもそも、国会における審議の前提になっているのは、国会議員が、自分の「頭」で考え、感じるということである。さまざまな意見を交わし、いろいろな事実に接する中で、ある法案に賛成か、反対か、修正すべきか決める。それが人間の理性というもので、民主主義の前提であろう。
単に、各政党の所属議員の数合わせだけで法案の成否が決まるのならば、議員は頭のないロボットと同じで、そもそも国会審議なんてする必要はない。審議時間が110時間に達したとか、公聴会が開かれたから採決の条件が整ったという考え方が「すげえ」のは、議員を頭のないロボット扱いしているからだ。
映画『十二人の怒れる男』で、最初は意見が1対11だったのが、最後は12人全員で無罪の評決になる。その過程で、意見が変わっていくというのが民主主義の根本、醍醐味である。法案の審議で、最初から頭数で採決が決まっているんだったら、審議なんて時間の無駄だから、しなければいい。
要するに、今の国会の審議というのは、どんなに理を尽くしても、参考人がどんな意見を表明しても、議員はそもそもそれで自分の考えや感性がゆさぶられて意見を形成するという可能性がないわけで、そこにダミーの人形を置いていたって同じだということだ。これほど、形骸化した国会はない。すげえな!
審議時間が110時間に達したら採決できる、というんだったら、最初から意見表明のテープレコーダーと、それを録画するテープレコーダーを議員の数だけ置いておいて、議員さんは日陰でのんびりでもしていればいい。どうせ頭を使って考えないんだし、同じことなんだから。要するに、無駄だよ。