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エッセイ社会派なブログ??!

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『その中で、取材者が、スマホの悪影響とか、子ども頃からスマホを与えるとまずいんじゃないかとか、そういうことをナントカ言わせようとしているのに、少なからず驚いた。
世界のどの国でも、スマホのような新しい技術を警戒し、ラッダイト運動的な情熱を燃やしている人たちはある一定の割合いるんじゃないかと思う。ところが、日本では、そのような層が社会の中に少なからずいるというか、教育界の保守本流の中にもちらちらいるようなので、その度にほんとうに驚く。
言うまでもないが、スマホはあくまでもツールである。ツールにいいも悪いもなく、要するに使い方だ。スマホ悪玉論者の中には、スマホでゲームをやったり、SNSをだらだら見たり、映像を見ているんじゃないか、という偏見があるようだけど、まず、そういう活動しても悪くはないよね。
ぼくは、スマホKindleで英語の本を読んで、iBooksで日本語の本を読んで(アカウントが混在するのを避けるための住み分け)、青空文庫で古典を読み、最強の囲碁をして、google scholarで論文を読んだりしているけど、そういう使い方を含め、どう使うかはuserの自由だ。
スマホ悪玉論者の中には、スマホがあるから、紙の本を読まなくなった、という人もある。もちろん、紙の本は素晴らしい文化だけど、ぼくみたいにスマホがあるから大量の本を読んでいる人もいる。スマホをやりすぎると眼が悪くなるという人もいるが、昔紙の本を蝋燭で読んでいた時はどうだったのか?
つまり、スマホ悪玉論は、科学的に言えば、ほとんど取るに足らない俗説で、かつての「ゲーム脳」のようなトンデモ俗説となんら変わらない。ところが、世の中に、一定の割合で、スマホ悪玉論を本気で信じている人たちがいるので、その度に私は少なからず驚くのである。
スマホは、要するにコンピュータで、コンピュータでできることは何でもできる。そのようなツールを子どもの頃から手にするのは誠に結構なことで、国が「検定」した薄っぺらい教科書だけ読んでいるよりも、よほど文明の近未来に創造性を発揮する子どもができることだろう。
東アジアからの留学生に、彼の母国の最優秀の学生が、ハーバードやMITに断られて、「あなたの優秀さは私たちの求めるものとは違います」と言われるという話を聞いた。正解が決まっている問題を解くのはもはやコモデティスマホ禁止で学力向上みたいな話も聞くが、いったいどんな学力なんだろう。』