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4月巻頭言メッセージ❗️

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4月巻頭言ニコ・ロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ❗️『
意識のパニック理論

意識は、ふしぎである。複雑であるとはいえ、物質でしかない脳に、どうして意識が宿るのか。意識の中で、私たちは、さまざまな鮮明なクオリアを感じる。なぜ、赤のこの感じは生まれるのか。光の波長や、波長の間の相互関係でそのメカニズムを説明しても、クオリア自体のふしぎには届かない。

そんな意識の不思議について、新理論が注目されている。あたらしすぎて、まだ、論文や学会では発表されていない。それは、ずばり、「意識のパニック理論」。意識は、脳の中の百億単位の神経細胞が、「うわー」とパニックを起こして生まれているという理論なのだが、パニックを起こすその理由が深い。

そもそも、生きものは、環境からたくさんの情報を受け取っている。「ビッグ・データ」などと人間たちが言い出す前から、生きものは、周囲から無数の刺激を受けているのである。ところが、これらの情報は、あまりにもたくさんありすぎて、生きものが認識し、対応することが難しい。

たとえば、ジャングルの中にいるおさるさんには、目や耳、触覚、嗅覚から、無数の情報が届いている。そのすべてに反応するのは不可能である。どうしても、見落とし、聞き落としが生じる。ひょっとしたら危険な敵を見逃すかもしれないし、おいしい食べ物に気づかないかもしれない。

このように、環境の情報は原理的に過多であり、それに対する適切な対応は、不良設定問題である。それでも、生きものは、なんとか切り抜けようとして、過剰な活動をする。つまりはパニックを起こすのであって、意識とは、そのような「パニック」によって生み出されるという最新理論なのである。

たとえば、私たちが周囲を見るとき、その中にはさまざまなものがクオリアとして感じられている。これは、視野の中で、あまりにもたくさんのものがあるので、視覚野の神経細胞が、「うわあ」とパニックを起こして過剰反応し、その結果、さまざまなクオリアが、ぽこ、ぽこ、ぽこと泡のように生まれる。

環境に過剰な情報があることを、「オーバーフロー」という。意識のパニック理論は、オーバーフローが神経細胞のパニックを引き起こし、それがクオリアになると主張する。興味深いことに、オーバーフローの構図は、単細胞でも脳でも変わらないから、意識はおそらく原始的な単細胞生物にも存在する。

環境からあまりにもたくさんの情報がくるので、細胞がパニックを起こして、うわーとクオリアを生み出す。それを、冷静にメタ認知するために、「自我」は生まれてきたと考えられる。つまり、「私」という存在は、「パニック・フィールド」の中のクオリアを俯瞰するためにこそ、進化してきたのである。

このような意識のパニック理論を、さいしょに構想したのは、古代ギリシャで、お風呂に入っていて思いついて、「うわっ!」と裸で走りだしたアルキメデスだという。現在、パニック理論の提唱者の一人である某人物も、春など気持ちがよくなると、裸で走る癖があると、学会では噂されている。

そもそもクオリアなど存在しないのだと主張し続けているダニエル・デネット氏の脳は、どうやらパニックを起こしにくい特性を持っているらしい。一方、クオリアこそがハード・プロブレムだと主張するデイヴィド・チャーマーズ氏の脳は、たいへんパニックを起こしやすいと噂されている。

脳は、環境情報過多でもパニックを起こすが、入ってくるはずの情報が不存在でもパニックを起こす。いわゆる感覚遮断の状況では、脳はさまざまな幻覚を生み出すが、これも、入るはずの情報がないので、「あれれれ?」とパニックを起こしているのである。脳は、本質的に、パニックマシーンだと言える。

「意識のパニック理論」に触発されて、最近では、「会話のパニック理論」も提出されている。会話は、何を話したらいいかわからない脳が、パニックになって、適当にでっちあげ(confabulation)を起こすことで生まれる。首脳の演説は、パニックを起こした脳のでっちあげである。

人工知能が人間の知性を追い抜く特異点(singularity)が注目されている。しかし、パニックを起こし、巧みに制御する脳のアーキテクチャーには、当分及びそうもない。コンピュータは、パニックもクオリアもない超予定調和なマジメ君なのであって、生きもののいい加減さには及ばないのだ。

以上をまとめれば、生きるということ、意識を持つということは、つまり、「うわー」とパニックを起こして裸で走っているようなものなのだから、まあ、そんなもんだと思って、せいぜい、生きている間を、楽しく、面白おかしく過ごすのがいい。「レッツ・パニック!」』