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いきなりメッセージ❗️

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎からの引用メッセージ❗️『憲法9条と、可能性の芸術」

憲法9条を保持する日本国民」が今年のノーベル平和賞の有力候補になった、というニュースが報じられた。ノルウェーにあるオスロ国際平和研究所(PRIO)の所長のHarpviken氏が、個人的に予想するもの。原文は、ここにある。

http://www.prio.org/About/PeacePrize/PRIO-Directors-Speculations-2014/ 

憲法9条に続いて、ウィキリークスの創始者のジュリアン・アサンジ氏や、ロシアで迫害にもかかわらず自由な報道を続けるNovaya Gazeta紙、女性の教育機会を訴えるMalala Yousafzai氏などが挙げられている。この予想は、過去にも的中させているという。

ノーベル平和賞は、しばしば、その選択が「政治的」であると批判される。賞が、すでに評価の定まった、揺るぎがたい対象に与えられるという立場からすれば、確かに、ノーベル平和賞の選択はしばしば論争的(controversial)である。オバマ大統領への授賞も、多くの論議を呼んだ。

ノーベル平和賞は、必然的にノーベル政治賞となる。平和を生み出すのも、壊すのも、政治だからである。かつて、ドイツの宰相ビスマルクは、「政治は可能性の芸術である」という言葉を残した。その意味では、ノーベル平和賞は、政治の領域に属し、可能性の芸術を追求する賞であると言える。

オスロ国際平和研究所(PRIO)のウェブページにもあるように、さまざまな状況の変化から、今年は、憲法9条の政治的な意味、可能性がクローズアップされているということであろう。その意味では、ノーベル平和賞は普遍的な価値を評価するものであると同時に、「生鮮食料品」だ。

オスロ国際平和研究所(PRIO)は、憲法9条が日本国民の多くによって支持されていること、安倍晋三首相の支持者の間でも、憲法9条を維持することを望む層があることを指摘する。日本国内で改憲の動きがある中、憲法9条ノーベル賞を与えることに「可能性の芸術」があることは確かだ

ノーベル平和賞という「可能性の芸術」の選択において一つの見識を示すのが、北欧の人たちであるというのが興味深い。強大な軍事を持たない立場から、常に国際情勢を測る「ウサギの耳」を持つ人たち。政治が「可能性の芸術」であることを知り、平和を願うのは、強者ではなく弱者なのだろう。