読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ニコ・ロビンインドメタシンブログ!!

エッセイいろいろな内容のブログ

朝からメッセージ

エッセイ コラム

f:id:barussnn127:20170130072321j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

笑いはパターン認識であり、社会批評的な笑いをつくるといっても、いくつかのパターンをあらかじめ頭の中にいれて置かないとできない。そのためにはいくつも笑いのサンプルを見て、そのかたちを叩き込んでおく必要がある。

しばしば用いられるのは、差別や偏見を持つ人物を敢えて描いて、その周囲の、良識のある人たちとのすれ違い(しかもそのすれ違いに本人は気づかない)というかたちを使うことである。英国のコメディアン、スティーヴ・クーガンはしばしばこのかたちを用いる。

スティーヴ・クーガンは、「アラン・パートリッジ」というキャラクターを演じて、人々が往々にして陥るジェンダーエスニシティについての偏見を敢えて表明して見せる。それが「すべる」ところを見せて、逆にそのような偏見を無毒化するのである。

デイヴィッド・ウォリアムズとマット・ルーカスのヒット作「リトル・ブリテン」でも、差別や偏見を持つ人物を敢えて描いて、その人がコミュニティの中で浮いてしまうところを描く。そのようにして、差別を相対化するのである。

たとえば、料理コンテストで試食している夫人が、その料理をつくったのがジェンダーやエスニックの少数派の人だと聞いた瞬間、ものすごい勢いで食べたものを吐いてしまうというスケッチがある。『リトル・ブリテン』は、そのようにして差別や偏見の滑稽さを描くのである。

リトル・ブリテン』では、車椅子の青年を世話する人や、村で一人のゲイの若者といった設定を用いて、偏見や差別と、現代の良識のすれ違いを短いスケッチで見事に描く。その背景にあるのは個人の尊重に対する現代的感覚であって、それなしにはコメディは成立しない。