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朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『  

今年は、夏目漱石(1867年2月9日 - 1916年12月9日)の没後100年である。私は、漱石は、紫式部以来の、「1000年に一度」の大文学者だと考えている。2017年は生誕150年にあたり、今年から、来年にかけて、さまざまな催しが行われるだろう。

漱石の小説の魅力は、人間の本質、世界の根底を見ぬいた、その鋭い視点にあった。『こころ』は人間のエゴを描いたし、『それから』では愛というものの危うさを、『坑夫』では、炭鉱を一つのメタファーとして人間存在の暗部を描いた。

漱石は、ずっと、「実験小説」を書き続けた人でもあった。一つとして同じような小説がない。『二百十日』は、全編がほとんど会話で構成されている実験的な小説である。『明暗』の文体には、現代の通俗小説に至るやわらかな言葉遣いがある。

漱石は、明治の国家の隆盛期において、日本の発展の根底に横たわる「脆弱さ」を見ぬいていた。そのことは、『三四郎』冒頭の、三四郎と「偉大なる暗闇」、広田先生との会話を読めば、伝わってくる。つまり、漱石は、容赦ない人だったのだ。

以上のような漱石の、いわばガチでシリアスな部分だけだったら、漱石の国民作家としての人気は、ここまでになっていなかったかもしれない。一方で、漱石には、創造者としての重大な秘密があった。それはつまり、「かわいらしさ」である。

吾輩は猫である』は、実際に描かれているのは人生というものに対する諧謔的視点からの一種のペシミズムだが、「猫」がかわいらしく、「猫」を愛する苦沙弥先生がかわいらしく、そのようなかわいらしさからのファンも多い。漱石といえば猫、というほどのイメージ喚起力がある。

坊っちゃん』では、松山に託して、日本の後進性、しがらみが描かれるけれども、坊っちゃん山嵐、マドンナ、赤シャツといった登場人物のキャラクター性の強さゆえに、親しみやすく、ポップな雰囲気さえ、醸しだされている。

漱石は、シリアスな思想家であると同時に、かわいらしい人だった。だからこそ、人気があった。「菫程な小さき人に生れたし」という有名な漱石の俳句があるが、この俳句のように、控えめで、自分を驕らない人だった。「漱石のかわいらしさ」は、もっと注目されて良い文豪の一側面だと思う。』