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朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

昨日は、男子100m✕4リレーの決勝が見たくて、ぎりぎりまで粘って、仕事に向かった。銀メダル、興奮した。走ったアスリートたちにとっても、一生忘れられないランになったことだろう! すばらしい!

仕事が終わって、打ち上げをしている店で、テレビがかかっていて、リレーの決勝の模様が、選手入場のところから放送されていた。そしたら、それを見ていた人のひとりが、「おっ、これからリレーの決勝だ」と言って、「もう終わったよ。まさか知らないの?」と周囲から言われて、からかわれていた。

録画でも、それをライブだと思ってみたら、興奮があるかもしれない。しかし、今は、よほどののんびりやさんでないと難しい。ニュースサイトや、SNSを通して、あっという間に結果が入ってきてしまうからだ。ほんもののライブでないと、臨場感、ワクワク感が得られない。

だからこそ、最近のスポーツの放送は、生中継の場合、それを明示するために「LIVE」という文字が画面に表示されるようになったのだろう。生中継ということで、たいへん大きな付加価値が生まれる。観る者も本気になって、はらはらドキドキする。視聴価値が高まる。

脳活動で見れば、LIVE > 結果を知らないで録画を観る >結果を知って録画を観る という順番になるだろう。録画でも、結果を知らないで観ればそれなりの興奮が得られるだろうが、やはり脳のどこかは「録画だ」と思うから、LIVEほどの興奮は得られない。

逆に言えば、最近その意義が問われている地上波テレビも、五輪のようなスポーツのLIVEの中継では、その真価を発揮するということだと思う。その際は、LIVEの興奮を純粋に伝えるのがいちばんで、タレントさんが出たりして余計な加工はしない方がいい。

一方、録画で競技を観る際には、テレビよりも、自分でクリックして始める動画サイトの方が向いていると思う。クリックして要求している分、脳の準備が高まっているからだ。スポーツについては、テレビは、LIVE中継を素材を活かしてできるだけそのまま伝えるのが、生きる道だろう。』