翌朝、ジャックがエッグトーストを作っていると、トムがキッチンにやってきた。
「コーヒーをつくります」と言うと、器用に粉や紙を見つけて、流れるようにドリップのスイッチを入れた。
まるで、何度もこの部屋に来たことがあるみたいだな、とジャックは思った。その印象は、ほんとうに一瞬に浮かび、そして消えたものだったが、しばらく後になって、ジャックはそのことをしばしば思い出すことになる。
「ファーザー・ジェルキンスに会う上で、いくつか事前に注意しておきますね。」
朝食のテーブルでトムがそう切り出すと、ジャックは、ちょっと待て、というように話を制止した。
「えーと、ファーザー・ジェルキンスとは?」
「これから行く神学校の校長です。」
「でも、設立のためのお金を出したのも、ジェルキンスさんだったのでは?」
「ファーザー・ジェルキンスは、息子さんです。」
「ああ。」
ジャックには、なんとはなしにいろいろなことが見えてきたような気がした。
それから、トムは、ファーザー・ジェルキンスさんがどんな人柄か、ジャックに語ってみせた。
マシュマロのようにやわらかい人なのだが、握り方を間違えると、中から、ぷつりと、刺されるのだそうだ。
ジャックのアパートメントから、神学校までの道は、住宅街の中を抜けていく。このあたりは、街路樹も青々と茂っていて、初夏の日差しと風が、心地よい。
ジャックはスマートフォンを取り出して、時刻を見た。9時20分だった。
「この時間に、ファーザー・ジェルキンスはいらっしゃるのかな?」
「いらっしゃるはずです。いつも、午前中はお仕事をされていますから。」
「どんな仕事を?」
思わず湧き上がってきた好奇心から、ジャックは、いささか無遠慮に、そのように尋ねた。
「小説を書いているのです。」
「小説?」
ジャックは、しばらく黙って、トムの横を歩いた。
「カトリックの神父さんが、神学校の校長が、一体どのような小説を書いているのですか?」
「聖人列伝です。カトリック教会の聖人たちの生涯を、小説にしています。」
「出版されたことは?」
「ありません。私が学校に入る前からずっと書き続けていらっしゃるようです。何でも、構想では、重要な100人の聖人を網羅する予定だということで、10年かけて書いても、まだ7人しか終わっていないのだそうです。」
ジャックは、思わずため息をついた。
ここが、ニューヨーク郊外だからなのか、あるいは、世界は最初からそうだったのか、想像もできないことが、時に角を曲がったところで待っている。
今、ジャックは、未知の領域に向かって歩いていた。
世界を満たす、やわらかな光の中を。
つづく。』