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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20160320070725j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『先日、日本モーツァルト協会でお話させていただいた。もちろん、聴衆はモーツァルトを愛する方々である。当然、モーツァルトの美質をほめたたえる内容になった。いくつかの代表曲を紹介した。

その後、理事長の三枝成彰さんが、お話されたのだけれども、それがちょっとおもしろかったので、振り返ろうと思う。三枝さんご自身作曲家だが、モーツァルトのシンフォニーを全曲最近聞いて、いいのはいいけど、つまらないのはつまらない、と思ったのだという。

モーツァルトの曲の中には、職人的というか、藝術としてはつまらないものもある」と三枝さんはおっしゃった。「今日、茂木くんが紹介していたやつはいいやつばかりだったけど、それはたまたま名曲だ、というだけで」と三枝さん。

ここからが面白いところだ。至高の名曲を何曲か残したからといって、全作品がいいわけではない、と三枝さん。そして、三枝さんは、モーツァルトとベートーベンを比較して、ベートーベンの方が藝術家としてはよい、と言い切った。

ベートーベンの方が、楽曲が自由というか、作家性がすぐれているというのである。エロイカなんか、だーんといいでしょう、と三枝さんはおっしゃった。モーツァルトか、ベートーベンか。このような、浮世離れした話は、たいへんおもしろい。

中学校の時、N先生が、ある日、授業の雑談で、いかにも重大な秘密を打ち明けるように、「君たち、作曲家と言えばベートーベンだと思っているでしょ。でもね、本当はね、モーツァルトの方が天才らしいよ」と言った。その時、N先生は、明らかに興奮していた。

モーツァルトか、ベートーベンか。このような論争は、芸術観に関わるだけに面白い。N先生が興奮して言ったあたりからかどうかわからないけど、とりあえずモーツァルトを天才だと褒めておけば政治的に正しい、みたいな雰囲気が現れたことは確かである。

ベートーベンは時に重く、厚く、軽やかでのーてんきに見えるモーツァルトと対照的だ。時代がニューアカブームなどの明るい喧騒に向かう中、パラよりもスキゾのモーツァルトに天才のイメージがシフトしていったのかもしれない。

大勢順応的な言葉よりも、流れに反逆する言葉の方が、呼吸をとめる。三枝さんが、よりによって理事長の立場で、しかもモーツァルト協会の例会で、モーツァルトよりベートーベンの方がいいじゃん、とかおっしゃったので久しぶりになんだかしみじみ考えてしまった。』