現状だと、検定がある小中高と、いきなり放し飼いみたいな大学の間に、大きな落差がある。だから、高校から大学に進んだとき、膝かっくんになる人も多い。大学に行かないと、検定のある教育しか受けないことになる。これはもったいない。
そもそも、小中高で検定のある教育を受けた人が、いきなり大学に行っても「残像」があって、そういうものだと思ってしまうから、4年になって卒論を書く頃になって「はっ」と気づいて、「違ったかも」と思っても、もう遅かったりする。
文科省の方のお気持ちとしては、全国津津浦浦、ある一定の教育水準を保証したい、というのが検定制度の99%で、時の政治でうんぬんされる歴史問題は正直検定の意義の1%にも満たないと推定するが、それにしても以上のような問題がある。
学問は、小学校の頃から始まるのだと思う。正解がなにか、そう簡単にはわからない。だから、学問は、調べたり、考えたり、話しあったり、同意したり、意見が一致しなかったりというプロセスの中にこそある。それを小学校から経験する方がいい。
小学校から、学問の本来のあり方を経験することで、大学に行かない、あるいは高校に行かない方でも、ある構えが身につくし、大学に行く方は、入った時に、そういう姿勢が出来ている。筋肉がついている。それは素晴らしいことではないか。
私は検定制度を廃止すべきだと以前から主張しているが、政治的にそれがすぐには難しかったら、検定教科書が子どもたちの脳の滋養のごく一部、参考程度、ナショナル・ミニマムだと認めて、あとは、広大で自由な学問の世界に小学校から接することが子どもたちにもいいし国益にも資すると思う。』