昨日のアサカルは、モーツァルトをやった。モーツァルトは神童であった。5歳の時に最初の作曲をした。目隠しをして、ピアノを弾けた。そこに目をつけた父、レオポルトといっしょに、7歳のときから、ヨーロッパ中を演奏旅行した。
レオポルトは、できるだけ早く演奏旅行に行きたかった。小さなモーツァルトが見事に演奏した方が、観客に受けると思ったからである。実際、幼いモーツァルトが完璧に演奏し、難しい即興演奏をするその様子は、大評判になった。
モーツァルトの危機は、成長したときに起こった。完璧な演奏をする小さな子、という珍しさの価値はなくなり、ただの、演奏のうまいおとなになった時、その「市場価値」が落ちてしまったのである。
研究によると、「神童」の多くが、成熟した「天才」にはならない。「神童」は、単に、ある正解があって、その正解に年齢が早く到達する。ところが、「天才」というのは、今までの価値を壊し、新たな創造をしなければならないからである。
つまり、「神童」に要求される能力、人格要素と、「天才」に要求される能力、人格要素は異なる。それは、真逆でもある。実際、多くの神童は成長して「タダの人」になっていく。「神童」が「天才」になるのは、通例ではなく、むしろ「例外」である。