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野坂昭如追悼記念

f:id:barussnn127:20151211065644j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ野坂昭如追悼記念『野坂昭如さんが亡くなった。「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか、ニ、ニ、ニーチェサルトルか、みんな悩んで大きくなった!」のコマーシャル、かっこよかったなあ。世界文化遺産だ。本当に素敵な方でした。大きな存在感がありました。
昨日、お風呂に入りながら、こんなことを考えていた。大学って、ソクラテスプラトンか、ニーチェサルトルかと悩むこと(ことに象徴される知的態度)だけが大学で、他のことはみんな、大学じゃない何かだなあと。その意味で、ぼくは心がきっと狭い。
大学の大衆化と言われて久しい。最近の大学の「学問」は「実学」志向で、社会で役に立つこと、社会に出て役立つことをやる傾向が強い。でも、少なくともぼくの心のなかでは、そういうのは本当の「学問」ではないという気分があって、そのことを「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか」で思い出した。
青春時代、畏友、和仁陽と話していて、彼が、「法律に社会工学的にアプローチする志向があるけど、ぼくはそれと違う」と言っていたことを思い出した。現代の実学志向の背後には、忘れ去られたさまざまな感覚がある。
極端な話、AIの特異点も実現し、火星への定期便もあり、癌が克服され再生医療で人々の寿命が数百年に延び、世界平和が実現して核兵器が廃絶ないしは制御され、エネルギー問題が解決されたとしても残る「何か」が、大学で本来学問すべきことなのかとも思う。
もっとも、以上に書いたようなことは社会の大勢とはきっと関係なく、隅っこの方でやっていればいいことで、本来、学問というものは少数派であり主流派でなく、細々と、なんとかつないでいくものかもしれないとも考える。
ぼくは今北陸にいる。昨日の北國新聞の夕刊に、「いつも食い物のことを考えていた。腹が減ったというのが生の実感だった。今も、えらそうなことを言う人を見ると思わず、こいつが腹が減ったらどうなるかと考える」という野坂さんの発言が掲載されていた。その意味では実学はもちろん大切です。合掌。』