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久しぶり朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20151202071451j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
流行語大賞」が、マスコミ各社によって報じられ、一種の「権威」のように扱われていることに対する違和感は、それが、(いかに素晴らしい選考委員によって、素晴らしい選考が行われていたとしても)一つの私的な組織によって選考されている、ということに起因するように思う。
もちろん、すべての「選考」には何らかの視点が入る。しかし、その場合には、その「視点」を含めての賞なのであって、その賞が伸びるかのびないかは、選考の質で決定される。その意味では、フェアだと思う。
流行語大賞」という選考のあり方に違和感を抱くのは、「流行」というものが、特定の選考委員会の見識ではなく、本来世間知に属するものだからである。流行しているかどうかは、多くの人がそれに関心を持ち、口に上らせているかという事実問題で、価値観が入ることではない。
流行語大賞」を、マスコミが報道するのは、一年を振り返るのに便利であり、また、その中で報じられる言葉が、人口に膾炙しているからだろう。しかし、流行したかどうかは事実問題であって、「選考」するものだとは、私には思えない。
今の時代、ツイッターフェイスブックなどのソーシャル・メディアがあり、どのような言葉が流行したかということは、客観的な指標でも測ることができる。流行は「選考」するものではなく、「測定」、「分析」するものであるとも言える。
今年の候補語を見ても、たとえば「同性婚」や「難民」が入っていない。他にも落ちているものがいっぱいあり、「流行語大賞」の選考委員会がどんなにいい仕事をしても、それは、「流行」という大きな事象のごく一部分に過ぎぬ。
もちろん、「流行語大賞」を毎年運営している方々の努力には敬意を表するが、そのリストを、便利だからだと、毎年まるで風物詩のように報じるメディアのあり方には違和感を抱く。そこには、安易に「権威」をつくってあとは盲従する日本的文化風土があるような気がしてならない。』