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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20151116065513j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『今回のテロに対して、フランスへの連帯を示すためにプロフィールをtricolorにすることについて、一部で批判や反対が表明されている。rainbow flagの場合とは何が違うのだろうか? 一つには、テロの被害になっているのはフランス人だけではないということ。なぜフランスだけか?
レバノンでのテロは印象に新しいが、イラクでも、シリアでも、多くの人がテロの犠牲者になっている。フランスだけを殊更に取り上げるのはなぜか、という批判は首肯できる。一方、今回のテロ犠牲者に対する共感、連帯を表明すること自体は、決して悪いことではないだろう。
プロフィールをフランス国旗にすることに対する違和感は、しかし、「フランス以外は?」「中東は?」という関心注意資源の配分の問題以外からも来ているように思う。それは、そもそも、「国家」をフィルターに今回の事態を語ること自体への違和感。
今回のテロ事件で、亡くなった方は、旅行者は別として、フランスを「敵」とみなす人たちによって殺された。しかし、人間が死ぬ時に、フランス人もアメリカ人もイラク人もない。一人の人間として死ぬのであって、一人の人間として家族や友人は悲しむ。
人間の一人ひとりの違いや尊厳を見ずに、単に国家という「集団」の構成員としてpublicityを得るための手段として無差別に殺すテロリストの身勝手な理屈は非難されるべきだろう。しかし、それに対する反応として、その国家という「集団」を象徴として出すことに、私は違和感を抱く。
rainbow flagがすばらしいのは、国家だとか、宗教だとか、言語だとか、文化による「くくり」なしに、世界のどの人でも、そのままの生身の人間として、回りの人たちに映るその人たち自身として、多様性を保ったまま連帯できる点にある。
フランス国旗にかぎらず、national flagは、人を区別し、分類する手段でもある。むろん、国家は当分必要であり、愛国心も害だけではない。しかし、国家を旗印に無差別に人を殺すテロリストに向き合う反応として、国旗を出すのは、おそらくちょっと(かなり)違う。
本来は、世界の人々が、国家や宗教、文化、言語と関係なく、ひとりの人間として連帯しあうことを示す何らかのシンボルが必要なのだろう。rainbow flagがLGBTの文脈からさらに広がってそんな役割を担ってもいいし、誰かが新しい旗をつくってもいい。とにかく、国旗はそうではない。』