ダミアン・ハーストの「ドット・ペインティング」もそうだが、現代美術において存在感を持つためには、アーティストと行動をともにする精緻な技巧の実行者たちが不可欠で、その意味で、現代アート自体が、「五百羅漢」と似ている。
もちろん、一人のアーティストが線を引き、塗るという古典的な個人作業の神話は、現代でも有効であり、作用し続けるだろう。一方で、精緻な共同作業を通してしか表現できない、熱量、質料も間違いなくあって、その泉にいくことでしか生まれない作品がある。
『五百羅漢』という作品を航空機にたとえれば、カイカイキキに集う300人の「羅漢」たちが精緻な共同作業をしなければ飛ぶことのできない大空がある。ミネルヴァのふくろうは夕刻に飛び立つが、コンテンポラリーアートの大鳥は、「羅漢」たちの精度の高い作業の積み重ねによって羽ばたくのだ。』