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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20151029072418p:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
今朝は、個人的なことを書きたい。私の髪の毛は、子どもの頃から寝ぐせがつきやすくて、夜髪の毛を洗って次の朝になると、よくぴょんぴょんハネていた。水をつけてなおそうと思っても、ダメで、そのまま学校に行って、角度でごまかそうとしていた。
友人の伊草くんはさらさらヘアーで、うらやましかった。自分の髪の毛がいやで、そのまま思春期を過ごした。あの頃、自分の外見について、服も含めて、「まあ、いいや」と思えなかったことは、大いに懸念材料であった。自分自身と和解できていなかったのである。
床屋さんに行っても、なにしろ、どのような髪型になるかということは向こう任せなんだから、その度に違う雰囲気になって、あと、そろそろ切りにいかなくちゃ、と思ってからの、ぷれっしゃーの上がり方が、たいへんだった。床屋に行くと、ああ、とりあえずはこれで無罪放免、と思った。
ぼくが最後に床屋にいったのは英国である。キプロス島出身の兄弟がやっている床屋だった。1時間、ずっとキプロス島の話をしていた。次に床屋に行く時期になったとき、またキプロス島の話をするのもつかれるな、と思って、生涯で初めての決断をした。自分で髪の毛を切ってしまうことにしたのである。
ケンブリッジの下宿で、ハサミを持ち、いよいよ髪の毛を切る、というあの瞬間の「罪悪感」が忘れられない。髪の毛は床屋で切ってもらうもの、という先入観があったから、虎刈りになるんじゃないか、みっともなくなるんじゃないかと思ったが、えいやっとやってしまった。それで何気なく出かけていった。
「これからは自分で髪の毛を切ることにした」と言ったとき、グレッグが、「君はマッド・プロフェッサーになる一歩を踏み出したね!」と言ったのが忘れられない。いずれにせよ、ぼくはこうして髪の毛の独立宣言をして、以来、自分で髪の毛を切り、洗い、タオルでかわかすとこんな髪型になる人生。
あの時、なぜ、自分で髪の毛を切るという決断をしたのかというと、滞在中のケンブリッジで、みな好き勝手に自分のスタイルで生きている、ということに感化されたのだと思う。ピア・プレッシャーが弱まった、というか、外見について、存在しなくなった。あれで、人生が随分楽になった。
今日は髪の毛の自分史をふりかえったが、同じようなことは、いろいろなことにあるように思う。生き方は、自分らしさと社会からのプレッシャーの相剋で、その間のどこかに「解」を見つけなければならない。こうなるべき、という圧力から解放されて、これでいいやと思えた時、人生は随分楽になると思う。』