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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20151028072830j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『

これからは、正しい、正しくないよりも、好きの方が大切なのかもしれぬ。その意味でFacebookのLikeは先駆的だ。きのこの山たけのこの里どちらが好きかと聞くと、だいたい50%ずつになる。凄いことだ。チョコとビスケットなんだけど、その構成の差に、はっきりと嗜好性が出る。
子どもの頃、ぼくは柿はとにかく硬いのが好きだった。母は、やわらかいのが好きで、「なんでこの美味しさがわからないのか」と言っていた。確かに、やわらかく熟した柿が好きな人もいるのだろう。硬いのか、やわらかいのか、どちらがいい、悪いではなく、つまり嗜好性の違いである。
人工知能と人間の差は、ここに求めるしかないと思う。ビッグデータである評価関数を最適化するというタスクは、おそらくこれから人工知能にはかなわなくなる。しかし、たけのこの里きのこの山か、硬い柿かやわらかい柿かという選択肢は、評価関数では(おそらく)雌雄決着しない。つまり自分次第だ。
人生の選択肢は、たいてい、どちらに行っても評価関数上は変わらない。というか、決着はつかない。じゃあ、AかBか、どちらでもいいから選べ、という時に、Aを選ぶか、Bを選ぶか、という問題にこそ、その人らしさは顕れるのであって、これは人工知能では記述できない。
結局、好き嫌いの方が、正しい、正しくないよりも深い。それは、身体性にふかく結びついているのであって、また、二度と戻ることのできない積み重ねでもある。どんな履歴にも、絶対的な理由などなく、理由は、むしろあとづけ。自分の好き、嫌いを(特に好き)をぴかぴかに磨き上げることが大切だ。
そして、思うのだ。ぼくはたけのこの里や、硬い柿が好きだけど、きのこの山ややわらかい柿が好きな人生を想像して見る。なんだかわくわく、ふわふわする。自分の嗜好性がほんの少しでも違っていたら、と想って見ることは、おそらく、他のことよりも何よりも、自分の人生を揺るがす。根底からやさしく。』