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朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20151027065042j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

今や知識自体はオンラインで得られる時代において、大学に限らず、リアルな学校で得られることは何かと言えば、出会い、コミュニティだろう。この出会い、コミュニティ機能は、確かにオンラインでは十分に得られず、だからこそ、わざわざ入試を受け、授業料を払って学校に通う価値がある。
その一方で思うのは、学校というコミュニティのくくりは「ゆるすぎる」ということである。100人くらいの学生さんがいるクラスで授業をしていて思うのだが、ある視点から見た「クラスター」は、分散的に分布していて、教室の中では、ばらばらにしかいない。そこを出会わせるのが本当の課題だ。
たとえば、100人いて、科学技術にあるセンスを持っているのは3人、アニメオタクは4人、ハッカーは2人だとする。本当は、自分と似た志向を持った人に出会った方が、切磋琢磨するし、競争するし、いい。ところが、大学といった、学校のくくりは、あまりにゆるすぎて、うすすぎて、足りない。
早い話が、ぼく自身が大学に入って思ったのは「薄い」ということだった。高校の時、和仁陽や宮野勉といった濃いメンツとのつながりがあったから、大学は「ふつうの人たち」しかいないように見えた。全学で10人しか取らないようなマニアックな授業に出てたら、畏友、塩谷賢に出会った。
ぼくにとって、大学というコミュニティはうすすぎて、塩谷賢や、竹内薫との出会いが重要だった。そして、考えてみると、そのような、ある資質や志向性を指標とするクラスターを形成する上では、別に、大学という括りにこだわる必要はなにもないような気がする。
つまり、ぼくの問題意識はこうだ。今や、知識自体はリアルな学校がなくても得られる。じゃあ、学校は出会いやコミュニティなのかと言えば、実は薄い。いろいろな人がいる社会の縮図だと言えばそうだが、自分の志向性にぴったりとした人と会う確率は、一般社会とそんなに変わらないかもしれない。
もし、三上さんのような人が大学に行く意味が、コミュニティにあるとするならば、大学は実はソリューションを提供していないかもしれないし、本当に濃いクラスターとの出会いは、大学という組織の縛りを超えてつくる方が最適化されているかもしれぬ。問題は、その具体的な方策であろう。
人は、やはり、オンラインのつながりだと足りなくて、身体性をともなうリアルな付き合いがあって初めてコミュニティとなりうる。今、ぼくは、リアルな学校というゆるい縛りじゃなくて、ピンポイントで共鳴できる将棋で言えば奨励会みたいなつながりをどうつくれるか、ということに案外関心がある。』