話は変わるのだけれども、大阪に来ると、いつも何か面白いことを言わなくちゃ、というプレッシャーを自分で感じていて、講演などでも、綾小路きみまろ率が高くなる。ところが、冷静にぼくの前後の挨拶だとか話とか聞いていると、みんな、そんなに、面白いことを言っているわけではないのだ。
だから、大阪に来ると、ぼけ続けなければならない、というのは、ぼくの勝手な思い込みで、実際には、大阪でも、真面目なことを笑いもなしに言ったり聞いたりしている時間帯もあるということなのだけれども、大阪を笑いの首都と勝手に思っているぼくは、勝手に自主トレを続けている。
それで、昨日のタクシーの運転手さんがぼくのビストロぼけに「ガハハ!」と笑ったのは、ぼくが記憶する限りぼくが何か言って大阪の人が笑った音量としては一番大きく、しかし今日になって反省すると、あれはおもろいと思って笑ったというよりは、当惑して、あるいはサービスとして笑ったのではないか。
まあ、ぼくは東京の寄席に小学校上がる前から行ってて、いわば「ネイティヴ」の教育を受けているわけだから、そんなに大阪に対して引けを感じる必要はないのだけれども、一方で大阪の笑いと東京の笑いには微妙な文法の差があってそれがいつまで経ってもRとLの区別がつかないみたいな感覚としてある。
大阪の人に、「東京には粉もんがない!」と言われると、じゃあ、ぼくが子どもの頃からおいしいと思って食べていたお好み焼きはなんだったのかと思うのと同じように、大阪では笑いのセンス文化を常に問われている気がして、その点からも、昨日の運転手さんの「ガハハ!」の意味がずっと気になっている。