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久しぶりの朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20150615092813j:image久しぶりのニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
昨日、ある人の自宅で開かれたパーティーに行った。都心の一等地にあるその住宅を、借りているのだという。その土地を考えると格安の値段で借りているというその家は、昔なつかしい、昭和の香りがする日本の住居だった。柱のかたちとか、間取りとか、階段だとか。
それで、その住宅が、「一回り」して、なんだかかっこいいなあと感じられた。今の流行りは、もっと広々としたリビングだったり、気密性の高いつくりだったり、美術館のホワイトキューブのような空間だったりするのだろうけれども、その昭和の香りがする「文化住宅」?が、スタイリッシュに見えたのだ。
流行というのは不思議なもので、時代遅れだと思っていたものが、一回りして「かっこいい」ものになったりする。ぼくが中学生の頃、「マジソン・スクエア・ガーデン」と書かれたスポーツバッグが大流行して、みんな持っていたのだけれども、そのうち、ダサくなって持たなくなった。
ところが、その「マジソン・スクエア・ガーデン」が、ある時期、またリバイバルしたと記憶する。スニーカーなどでも、型落ち品が突然かっこよく見えたりする。そのうち、まわりまわって、演歌が最先端のかっこいい文化になる日が来ても、おかしくはない。
流行は、結局、人間の認知のうち、「飽きること」「新鮮さを感じること」「記憶していること」「忘れること」「他の人と同じこと」「他の人と同じではないこと」「誰がそのアイテムを持っているか」「そのアイテムがどのような社会的文脈に置かれているか」といったパラメータが絡んだ事象である。
例えば、「ランドセル」は、多くの日本人にとって小学校時代の思い出と結びついて、幼さの象徴でしかないけれども、最近外国からの客がランドセルを買って帰る、という時には違った文脈に置かれるのであって、そこに、将来の流行の萌芽があると言ってもおかしくないだろう。』