型に入ったプリンに、キャラメルをかけて食べる。子どもの頃はいたずら好きだから、何かしたくて、それで、プリンに切れ目を入れて、どんどん掘っていって、中にできた空洞に、キャラメルを流し込んだ。その上からプリンをかぶせて、キャラメルが見えないようにした。
上から見ると、黄色いプリンしか見えないようになる。それで、「キャラメルないなあ」と言いながら、スプーンで掘っていく。ない、ない、とか言っていると、やがて、底の方からキャラメルが「発掘」される。「あっ、こんなところにキャラメルが!」当たり前である。自分でそこに隠したんだから。
ものつくりとか、創造って、プリンの底にキャラメルを隠す行為に似ていると思う。自分がうれしい(そして、おそらくは他人もうれしい)ものを、仕込んでおく。あとで、「あっ、こんなところに、こんなものが!」と発見する。つくるときと、発掘するときに、時間差を置いて、二度うれしい。
これはプリンに関する失敗だが、ある時日本人のおじさんが外国人と自慢っぽくみんなに聞こえるように大声で英語で話していて、「エヴリバディ・・・、エヴリバディ・・・」と連発するので、思わず「エヴリバディ、プッチン!」と叫んでしまったあの時のことは、思い出すと顔が赤くなるほど恥ずかしい。』