今朝のNHKのニュースを見ていたら、冒頭で、核兵器不拡散条約(NPT)の最終文書が採択されない見通し、と報じていた。全会一致を原則とするため、合意が見られないと見送られることになるらしい。そのニュースを見て、人間の愚かさと、その起源について考えた。
アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの元々の核兵器保有国に加えて、インド、パキスタン、北朝鮮が核兵器の保有を表明。そして、表明はしていないものの、イスラエルも保有していると思われる。これらの保有国と、非保有国の利益が対立するのは見やすい理屈で、そこに偽善の種がある。
核保有国は、自分たちの特権をてばなしたくない。一方、核兵器が人道的な視点から許されない兵器であることは論を待たず、特に非核保有国は廃止を主張する。核保有国が核兵器の保有という特権を手放すことは、人間の性質上おそらくない、という偽善の前提から、さまざまなことを考えねばならぬ。
もともと、核保有国は人類全体の利益など考えているのではなく、単に、自国の利益、ささいなプライド、惰性、手放す勇気の欠如という、あまりにも人間的な欠陥ゆえに核兵器を保有し続けているのだ、という偽善の構図を、せめて自覚するくらいのメタ認知が欲しいものだと思う。
ところで、核保有国が偽善のうちに核を保有し続けることはあまりにも人間的な弱さゆえ、ということで目をつぶるとしても、相互確証破壊(Mutually Assured Destruction)の将来については重大な関心をもたざるをえない。人工知能技術が適用されることは禁止すべきだ。