バチカンは、軍事力を持たず、警察もスイスの傭兵である。つまり、フランシスコ法皇は、軍事力なしに、積極的平和主義を進めている。もちろん、イタリアの軍事力に包まれているとか、EU,NATOの安定があってこそという議論はある。それにしても、フランシスコ法皇はインスピレーションだ。
世界の中には対立する人たちがいる。ローマ法王という立場は、その仲立ちを比較的しやすいということもあるだろう。一方、9条を持ち、戦後一切の戦闘行為に加わってこなかった日本は、フランシスコ法王と同じような立ち位置で、世界の平和や安定に貢献する道筋もあった(ある)はずである。
日本が米国の補完装置になることは、日本にとってはもちろん、米国にとっても利益になるとは思えない。そもそも、米国と言ってもひとつではない。ベトナム戦争やイラク戦争に反対する人も無視できない数いる。軍事力を展開すれば、それで平和が成り立つとかんがえる米国人は、むしろ少数派だろう。
積極的平和主義は大いに結構なことだが、フランシスコ法王のようなかたちでのヴィジョン、行動なしで軍事力の展開(後方支援)だけが議論されるのは、明らかにバランスを欠く。むしろ日本は、フランシスコ法王のような役割を期待されているし、演じるべきだと私はここに強く主張する。』