ところが、ポケットの内側じゃないとき、服のどの部位でふいているのか、というと確信が持てない。部位による頻度分布がわからないのである。昨日、その一端が、偶然明らかになった。その経緯が情けないので、ここに記しておこうと思う。
ゼミは、ふだんはJournal Clubで担当者が論文を紹介しているが、昨日は特別回で、数学者アラン・チューリングの生涯を描いた『イミテーション・ゲーム』をみんなで観た。いい映画だった。巨大ポップコーンを回しながら食べた。さいしょは手に盛っていたが、それだと、量に限界がある。
それで、思いついて、着ていたセーターのお腹のあたりを持ち上げてくぼませて、そこにポップコーンを置いた。これだと、たっぷり食べられる。しめしめ、と思いながら、カンバーバッチの演技を楽しみ。お腹に手をのばしてポップコーンを食べていた。
映画が終わって、トイレにいって、手を洗って、ほとんど無意識にセーターで手をふいてハッとした。いつの間にか、さっきポップコーンを盛っていた、お腹のあたりで手をふいている。これじゃあ、意味がない。せっかく手をきれいにしたのに、またポップコーンの油で汚れちまった。
汚れちまった悲しみに。偶然の経緯で、自分が服のどこで手をふいているのか、明らかになった。もっとも、これはN=1で、どこでふくことが多いのか、その統計まではわからない。しばらく研究してもいいけれど、意識すると、無意識にやっている行動とは違うところでふくかもしれない。
トイレで手を洗ったとき、服のどこで手をふくかは、案外、身体性の問題とも絡んで、面白い認知現象であるかもしれず、ほんとうはしばらく統計をとってみたいけど、意識すると行動が変わる可能性があり、無意識のN=1がポップコーンのおかげで明らかになった昨日のデータは貴重だった。
ところで、女性は、髪の毛で手をふくひともいるらしい。以前、ぼくはハンカチを持たないという話をしているとき、誰かが教えてくれた。へえ〜と思った。以来、ぼくは、髪の毛で手をふくことを女性らしさの一つの印だと思い込んでいるけれども、みなさん、ぼくは間違っているのでしょうか。』