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朝からメッセージ

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ニコ・ロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ‼️『私事で恐縮だが、この数ヶ月くらい、ツイッターで書くスタイルを少しずつ意識して変えた。何か、ある事象に触発されて書くときにも、その事象を名指ししないで、より一般的で、普遍的な言葉を使って書くようになったのだ。すると、面白い変化が起こった。

たとえば、あるニュースに腹を立てて書くときにも、その腹が立った原因を名指ししないで、より一般的な(悪く言えば曖昧な)表現で書く。読む人が(すなわち、私と同じように、その事象に腹を立てている人が)読めば「ははあ」とピンと来るだろうが、そうではない場合もあるだろう。

このようなスタイルで書くことを、「炎上を避ける配慮」と捉える人もいるかもしれない。本人の意識としては、必ずしもそうではないが、そう捉えられても、まあ、いいかな、と思う。過去にさんざん炎上を経験した本人としては、炎上はあまり生産的ではないと思うし、他のやり方もあると思うからである。

表現を一般的、かつさまざまな解釈が可能なかたちにして書くと、興味深い事象が生じた。すなわち、私がもともとそのようなツイートを書く原因になった事象をピタリと当ててくる人もいれば、全然、別件のことだろうと思って反応してくる人がいる。さらには、自分のことだろうと思って返す人もいる。

そんな時、私は、「ああ、メッセージが届いたのだ」と思う。もともと、ツイッターはRTや引用や拡散を続けるうちに、文脈を超えて届いたり、誤配達されることもある。元々の名宛人ではない人に届いてしまうこともあるのだ。それが、ツイッターのようなSNSの宿命ならば、受け入れてしまえばいい。

さまざまな解釈が可能なかたちで表現しておくと、それを読んだ人が、「あのことだな」「私のことかしら」と思ってくださったその瞬間に、メッセージが届く。それは、書き手が意図していなかったことであるが、ある意味では、言葉というものの機能の、最も幸せな瞬間でもあると思う。

ツイッターは、社会実験の側面もあると思う。何が届き、何が届かないのか。誤配達が、いかに起こるか。一対一のコミュニケーションでさえ、誤配達は起こる。ましてや、ツイッターでは、誤配達は日常茶飯事である。それならば、誤配達を前提にした、言葉の設計の仕方もあるのだと、考えるようになった。

私の拙い言葉たちは、読んでくださる方々の心に、どのように届いているのだろう。それが、意図しないもの、文脈を超えたものであるほど、言葉たちはある意味幸せだと思うし、また、ツイッターに毎朝向き合って連続ツイートなるよしなしごとを書きつくる私としても、とっても幸せなことだと感じている。』