UKIPとは真逆だが、最近、ある新聞を時々コンビニで買う。さすがに宅配だと新聞の数が多くなってしまうので、そこまで回らないのだけれども、買って読むと面白い。リベラルな立場から、いわゆる三大紙や日経には載っていない記事がある。賛成、反対を別として、情報量が多い。
別のある新聞は、コンビニで、見出しを見る。また、ある夕刊紙は、キオスクで、見出しを見る。この両紙は、右派であり、キャンペーン的な記事が多い。夕刊紙は、ある隣国を揶揄するようなトップ記事を、ずっと続けている。それぞれ、マーケットとなる読者がいるのだろう。
洋の東西を問わず、今や右から左まで、保守からリベラルまでさまざまな論調があるのであって、ネット上では百花繚乱だが、伝統的なメディアの棲み分けを見ていると、極端な(統計的に中心から外れている)意見ほど、やはりその発行部数は少ないという関係がある。社会全体としてのバランスが面白い。
日本に存在する事象は、ほとんどそのままさまざな国に存在している。リベラル派が右派を知性が足りないと批判するのも同じ。逆に右派がリベラル派を「左野郎」と罵倒するのも同じ。グローバル化の中、独自性をどう守るかという命題と、市場や価値の普遍のせめぎあいで、同じ現象が起こっている。
世界は分裂しており、さまざまなことを信じている人たちがいる。その間の対話は難しい。せめて、いろいろな「セグメント」の人がどんなことを言っているのが、俯瞰した方がいいと思う。私は、これからも、左から右まで、いろいろなメディアを覗いてみるつもりである。一つのメディアでは足りない。』