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朝からメッセージ

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ニコ・ロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ‼️『
国立競技場や防潮堤の論争を、一面トップに

日本のマスメディア、新聞やテレビにおける「報道」のあり方は、時計の針が止まってしまっているように感じている(最近は、誰も、それが当たり前だと思っているから、議論の対象にもならなくなってきているのが寂しいことだけれども)。時計の針を進めるための提案を、今朝はしたい。

新聞を読んでいると、2020年の東京オリンピックに向けた、国立競技場の建て替え問題を論じている記者の方がときどきいらっしゃる。内容は的確で、現行の計画に懸念を示すものであるが、紙面の場所が間違っていると思う。一面トップに持ってくるべきテーマだろう。

日本の新聞は、確定した(と認識される)事実を報じるという点において、役所の広報に似ている。しかし、世の中には、意見が複数ある、論争的な問題もたくさんあって、往々にしてそちらの方が重要である。たとえば、国立競技場の建て替えも問題もそうだし、防潮堤の問題もそうである。

インターネットの時代においては、論争的な話題は、常に人々によって情報が収集され、議論されている。ところが、新聞やテレビの報道は、そのような対立軸には滅多に踏み込まない。ここには、メディア人の、大いなる誤解(ないしは、技量の不足)があるのではないかと懸念する。

たとえば、国立競技場の建て替え問題については、国際コンペで設計者が決まり、青写真も出来ているのだから、そのまま(修正しても)進むべきだという主張もある。一方で、わが国の有力な建築家たちが、懸念や反対を表明している。新聞やテレビはそのどちらかに立つ必要はない。ただ報じればいいのだ。

メディアの中に、論争的なテーマを報じること自体が、角が立つ、どちらかの側に立っているのではないかと色がつく、という誤解があるように思う。メディアの役割は、論争の「興業元」であり、興味を持った「傍観者」であり、両天秤のバランス曲芸師でいいのに、それをしない。

論争的なテーマ、たとえば、国立競技場や、防潮堤の問題を、一面トップの記事にしないような新聞は、現代における存在意義が不足しているといわれてもしかたがないだろう。何も、キャンペーンを張って欲しいと言っているのではない。たった一日でいい。論争的なテーマを紙面で大きく打ち出して欲しい。

定型的で微温的な新聞やテレビの報道は、より論争的なネットに比べて、存在意義が薄れつつある。若い世代は、新聞を一切読まない人が多いし、地上波テレビも見ないという人が多くなっている。論争は、最大の「興業」であり、意義である。変わらないと、マスメディアの衰退は止められないだろう。』