裏最北ブログダダダダーン!!!!

エッセイ社会派なブログ??!

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ

一番意味がわからないことの一つは、新聞やテレビなどのレガシーメディアが、新卒一括採用や多浪生差別のことを報じるときに、そもそもの前提がおかしいということを指摘しないでその前提を共有していることで、そもそもメディア関係者のアタマが貧弱なのだろうと推定せざるを得ない。

 


若い世代に強く訴えたいことは、「履歴書に穴が開く」という貧弱な大人たちの価値観はガン無視していいから、自分たちの好きなことを自由に追求して欲しいということ。それで人生を成立させている人なんてたくさんいるし、そういう人が出ないと、日本は発展できない。履歴書に大いに穴を開けよう。

以上、連続ツイート2168回「履歴書に穴が開くって、なんですか?」をテーマに、8つのツイートをお届けしました。

 

朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20181015071426j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ『   

教科書検定が日本の教科書をあんなに薄っぺらにしている。検定官の方々は誠心誠意やっていらっしゃるのだと思うが、何しろ処理能力に限界がある。検定できるページ数ということで逆にあの薄さが決まってしまう。この時代に、あんな薄っぺらい教科書で子どもたちの未来が育めるはずがない。

 


そもそも、検定という発想が、現代を生きぬく上で不可欠な批判的思考と矛盾している。竹島尖閣諸島が日本の領土だというのは情報論的に言えば0か1かの1ビットであって、そんなものを書いて子どもたちに覚えさせても何の意味もない。』

朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ

 

人間が生きるということは、つまり、どんどん変化するということで、世が流れ、小林秀雄が生きた時間や空間は光円錐の広がりの中でかすれていってしまって、その名前を冠した賞のパーティーに集まったひとたちは、わいわいがやがやと生きて、変化し続けている。 みんな生きているわけだから、生き続けているわけだから、どんどん変わってしまうということ、流れてしまうということは当たり前のことで、だからこそ、「小林秀雄賞」における「小林秀雄」のように、かすかにせよ名残があることは、奇跡的なことなんだろうと私は思った。』

朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ

現代の科学、X線などをつかって、ペンチメントが発見されてしまうことがある。有名な絵の下に、別の絵があることが、わかってしまうのだ。それは画家本人だったのか、あるいは別の人の絵だったのか、そのあたりは、研究者や鑑定家が推理することになる。 「ペンチメント」という概念を知ったとき、ああ、それは素敵だなあ、人生だな、と思って、そしたらそれをモティーフというかインスピレーションとして小説を書きたくなって、描いたのが『ペンチメント』で、今度講談社から出る。もし興味がある方は、読んでくださるとうれしいです。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ

対話って、リアルでも、ネットを通してでも、自分がなにか発して、それに対して自分が思いつかなかった、気づかなかった点を教えていただけるのが本当にうれしく、だからこそ私たちは一人ひとり自分の個性を持ち寄って対話するのだと思う。対話って本当にすばらしい。 人間って、お互いに見ているものが違っていて、同じ部屋にいてさえ視野に入っているものは違って、だからこそ、それぞれの認識を、感動を、お互いに持ち寄る対話で、世界というジグソーパズルが絵になる。私たち一人ひとりはパズルのワンピースでも、みんなが集まれば、素敵なおおきな絵になる。 以上、連続ツイート2161回「対話っていいねえ!」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。』

 

朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20181008100117j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ

当該新聞記事で、川崎市ヘイトスピーチでイッシューとなっていたとされる外国人参政権生活保護の問題をスルーして、ただ、「みっともない」とか「市民困惑」といった文字列を並べて何か書いている気になっているのは、ジャーナリズム以前だと言えるだろう。 もっとも、「みっともない」「市民困惑」といった文字列さえ並べておけば、思考停止の「世間」に属すると自分たちを自己規定している「サイレントマジョリティ」からは「共感」や「支持」が得られると思っているわけだから、世間というエコーチェンバーでの虚しい言葉のやり取りが続くのだろう。』

 

 

朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからメッセージ

批評性と、質の良いものをつくることは表裏一体で、オーディションはつまりは配役に対する批評性なのだから、それなしにつくっても、結局質の良いものができず、みんなが不幸になるという気がする。日本映画はこのままでいいのだろうか。

 


『カメラを止めるな』の成功に映画好きが喝采したのは、オーディションをちゃんとやるとか、ロッテン・トマト的な過酷な批評性にさらされるとか、そんなことなしに、お手盛りで一部のファンに向けてつくる作品が多い日本映画のよどんだ現状に一陣のさわやかな風を吹かせたからだと思う。』