ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
学校教育の中で、文脈の中で卓越することばかり求められ、それに応えていると、文脈に合わせて脳を働かせる能力ばかり発達して、それを超えるひらめき力が抑制されてしまう。
ひらめきは、どちらかと言えば「遊び」に近い。無目的で、意味もなく、ただ楽しいからやっている。そのような時に、ドットとドットを結ぶ、という結果が生まれやすいのである。』
ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
学校教育の中で、文脈の中で卓越することばかり求められ、それに応えていると、文脈に合わせて脳を働かせる能力ばかり発達して、それを超えるひらめき力が抑制されてしまう。
ひらめきは、どちらかと言えば「遊び」に近い。無目的で、意味もなく、ただ楽しいからやっている。そのような時に、ドットとドットを結ぶ、という結果が生まれやすいのである。』
ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
「ひらめき」は、いつやってくるかわからない。そのタイミングをあらかじめ予測したり、コントロールしたり、あるいは強制することはできない。
「ひらめき」は無意識からの突然の通知である。anterior cingulate cortexでその兆候が検出され、dorsolateral prefrontal cortexにその情報がリレーされて、脳の必要なりソースが割り当てられる。ただし、その通知がいつくるかはわからない。
ひらめきのタイミングや内容自体はコントロールできないが、ある程度「歩留まり」を上げることはできる。そのために知られている経験則は、集中の後の弛緩である。
一つの問題について集中して考えたり、取り組んだあとで、リラックスしている時間にひらめきは起きやすい。つまり、ひらめきは全くランダムなのではなくて、意識的な活動と相関する。
なぜ、集中のあとの弛緩においてひらめきが起きやすいのか。集中している時に処理されたさまざまな情報が脳内に残っていて、その「後処理」ないしは「整理」の過程で、「ドット」と「ドット」が結ばれることが多いからである。
いわば、集中して何かに取り組む行為自体は、ある論理やアルゴリズムに基づく実効的な処理というよりは、脳にひらめきのための素材を仕込むプロセスだとも評価できる。その素材がコントロールできないかたちで曜変して、ひらめきとなるのだ。』
ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『
ひらめきは、その時にやっていること(たとえば、歩いているとか、食事をしているとか)と直接関係なく、突然割り込んでくる情報処理である。このような脈絡のなさと、0.1秒程度のスケールの短い事象であるという事実は関係しあっている。
0.1秒程度のスケールの、まばたきする程度の間の短い例外処理だからこそ、ひらめきは脈絡なく介入してきてその間脳の認知過程を占有することができる。それ以上の長い情報処理が脈絡なく介入すれば、環境への適応という意味で障害が生じるだろう。』