裏最北ブログダダダダーン!!!!

エッセイ社会派なブログ??!

いきなりメッセージ

f:id:barussnn127:20170325124539j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『 

努力を続けるということは、つまりは、とにかく継続するユニバーサル・モーターを心の中に抱いているということである。下手な盛り上がりや、決意表明のようなアップダウンがあっては行けないのだ。

いわゆる「意識高い系」の人たちの努力が案外継続しないのは、努力についてあれこれ意識をしたり、やる気を出したりということ自体が実はムダで、そのようなことをしていると飽きたり疲れてしまうからだろう。やる気など要らない。ただ、淡々と続けていれば良い。』

いきなりもう一度イーチューマーマンチヤーヤールメッセージ

f:id:barussnn127:20170324133807j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

しかし、ここで考えてみてもらいたいのだが、1分間の努力は、10分やってきての1分も、100時間やってきての1分も、10000時間やってきた後の1分も、同じ1分である。今までどうだとか、これからどうだということに気づかずにその1分に集中すればいいのだ。

意識にとっては「今、ここ」しかないわけだから、その「今、ここ」に没入すればいい。これがマインドフルネスの考え方だが、その限りにおいて、マインドフルネスは、努力を継続するインフラとなる。』

 

いきなりメッセージ

f:id:barussnn127:20170323125306j:imageニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『 

創造者が何かを成し遂げるためには、どこに向かっても自由に動き回る志向性の切っ先を、身体性でとぼとぼと追いかけるという作業をしなければならない。つまり、万能感と無力感の間を行ったりきたりしなければならないのだ。

着想自体は一瞬だが、それを現実化するのは長い時間がかかるのである。その意味では、創造性は、瞬間と長い時間を結ぶ補助線のようなものだということもできる。』

いきなりメッセージ

f:id:barussnn127:20170322125407j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『 

このように、志向性の性質に関心を払うことは、人間の精神の自由と運動を考える上で本質的なポイントとなる。自分の日々の志向性を良きもの、ひろきものに保つことは、心の健康を保つ上で必須である。

ヘルマン・ヘッセの『知と愛』で、ナルチスは修道院にとどまり、ゴルトムントは広い世界を飛び回るのだけれども、結局、志向性という視点から見たらもしかしたらナルチスの方が広かったのかもしれない、というあたりに人生の機微がある。』

 

朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20170321065535j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

創造における努力の継続は、志向性によって支えられる。つまり、志向性を着想し、鍛え、磨くことが、創造者にとっては不可欠である。とりわけ、志向性の質に注意を払うことが必要である。

志向性の質に注意を払うことは、細やかな変化や差異に敏感になってそれを探求するということでもある。つまり、ふだんから質的差異に注意を払い、それを志向性の見分け、感じ分けに応用しなければならない。』

 

朝からメッセージ

f:id:barussnn127:20170320065357j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

クオリアは、脳内の神経回路網の活動状態を、前頭前野を中心とする自我の神経回路が「メタ認知」することで成立する。この際に鍵になるのは、自我は、無意識の活動の詳細を知らないままに、それを一つの質感として立ち上げることだ。

「これは知っているけれども思い出せない」「こんなものを生み出したい」といったFOKの志向的クオリアは、それを把握する自我がその詳細を把握しないままに、しかし独特の質感を持ったものとして構成されており、その意味で精緻な区別を与える。』

 

いきなりメッセージ

f:id:barussnn127:20170317123038j:image

ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

「創造することは思い出すことに似ている」と書いたのはロジャー・ペンローズである。FOK, TOTのような感覚と、それを支える想起の脳内過程は、創造のプロセスと完全に一致するわけではないが、多くの共通因子を抱える。

「創造することは思い出すことに似ている」。プラトンならば、この命題をイデアの概念を用いて説明することだろう。創造することは、イデアを思い出すことである。イデアの概念を持ち出さなくても、創造は想起にとても似ている。』