裏最北ブログダダダダーン!!!!

エッセイ社会派なブログ??!

朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

クオリアは、脳内の神経回路網の活動状態を、前頭前野を中心とする自我の神経回路が「メタ認知」することで成立する。この際に鍵になるのは、自我は、無意識の活動の詳細を知らないままに、それを一つの質感として立ち上げることだ。

「これは知っているけれども思い出せない」「こんなものを生み出したい」といったFOKの志向的クオリアは、それを把握する自我がその詳細を把握しないままに、しかし独特の質感を持ったものとして構成されており、その意味で精緻な区別を与える。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

「創造することは思い出すことに似ている」と書いたのはロジャー・ペンローズである。FOK, TOTのような感覚と、それを支える想起の脳内過程は、創造のプロセスと完全に一致するわけではないが、多くの共通因子を抱える。

「創造することは思い出すことに似ている」。プラトンならば、この命題をイデアの概念を用いて説明することだろう。創造することは、イデアを思い出すことである。イデアの概念を持ち出さなくても、創造は想起にとても似ている。』

 

ナイターメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

もやもやや悩みをそのまま出すよりも、むしろ、その痕跡を留めないくらいに変形することで、本人はより健やかになる。個別性を離れて一般化したり、あるいはメタファーやアレゴリー、シンボルを用いて印象的な世界を描く。

このような創造のプロセスのひな型は夢にある。夢では体験の内容やそれにともなう感情が新たな結びつきの下に、変貌して顕れるので、その表現は元となった体験とは異なる印象を持つ。創造の過程で作品に結実するプロセスも同じである。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

作品と本人の間にギャップがあるということは、つまり、作品とは時にしてデトックスなのかもしれない。本人にとって「毒」のようなもの、もはや体内にとどめておけないものを排出することが、結果として作品になるのである。

物故作家の作品はとたんに売れなくなると編集者たちは経験則から言う。作家が生きている間は本人というエンジンがあるが、亡くなってしまうと作品が独り立ちできていないのだろう。作家と作品の距離は、遠ければ遠いほど良い。』

 

朝からメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

脳の神経回路網が非線形であり、「次の一歩」で今までとは様相が変わるかもしれないということは、人生の無限のあり方についても大きな影響を与える。

無限には実際の無限(実無限)と、「次がある」という(数学的帰納法におけるNー>N+1)可能無限がある。私たちが人生でつかめるのは可能無限だけで、つまりは「次がある」ということだけが無限なのである。

青春期などには、人生がずっと続くような錯覚があるが、その時の無限は「また明日がある」という可能無限なのである。明日がある限り、私たちは人生に無限があるという錯覚の中に生きることができる。そして、錯覚こそが脳がつくる自由の空気である。

可能無限で、今までの人生のNがN+1になる、ということは、その「+1」で、すべてが変化する可能性があるということを含む。非線形性により、N+1の中に、とてつもない変化が忍び込む可能性があるからである。

三国志談義には、「士別れて三日なれば刮目して相待すべし。」とある。人間は、三日も経てば大きく変わっていることがあるのだから、そのつもりで会えと。自分という存在もそうである。三日経ったら、随分違う自分になっているかもしれない。

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

本を読んでいても、次の一冊が全く違う世界を切り開く可能性がある。英語の学習も、次の努力が新しい世界を切り開く可能性がある。だから、諦めてはいけない。諦めるのはもったいない。新世界への扉は、次に開くかもしれない。

次で様相が変わるかもしれないということは、言い換えれば今は変化が潜在しているかもしれないということである。継続的な努力は、非線形的な変化によってしきい値超えを実現するための潜在的仕込みだと考えているのが良い。』

 

いきなりメッセージ

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ニコロビンプレゼンツ茂木健一郎さんからのメッセージ『

これだけ修業をして偉いとか、それだけ積み上げてこうだとか、そのような、自己のアイデンティティに基づくポイントシステムのようなものをすべて否定したところで、日常の所作を繰り返すところに、永平寺の根幹がある。

ふしぎなことに、そのようにして、自己の存在もメリット・システムも否定したところで日常を繰り返していくうちに、「悟り」はある。人間の生理はそうなっているという長年にわたって積み上げられてきた一つの叡智があるのだろう。』